『太平洋を渡った杉原ビザ』

カウナスからバンクーバーまで −バンクーバー新報 企画・編 高橋文 編著−

「太平洋を渡った杉原ビザ」カバーデザイン。©Aya Takahashi
"THE SUGIHARA VISA, ACROSS THE PACIFIC" The cover concept is reflective of the visa and the Pacific Ocean. ©Aya Takahashi;「太平洋を渡った杉原ビザ」カバーデザイン。

2020年4月30日 第14号

「杉原千畝のビザ発給の事実だけではなく、それが現在にどうつながっているかが明らかになった」

海外日系新聞放送協会
理事長・新実慎八

歴史背景

 1939年9月、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻を引き金に第二次世界大戦が勃発。多くのユダヤ系避難民が隣国リトアニアに流れ込んだ。翌40年8月、前年にドイツと不可侵条約を結んでいたソ連がリトアニア併合。窮地に追い込まれたユダヤ人はヨーロッパ脱出を図る。

 だが、最終目的国や通過する国々からのビザが手に入らない。ソ連からの命令で、在リトアニア各国公館が次々と閉館したからだ。しかし、同国カウナスにあった日本領事館は開いていた。領事代理・杉原千畝(すぎはらちうね)が、日本政府からの訓令に背くことを承知で、群れをなすユダヤ人に、懸命に日本通過ビザを発給していた。40年8月末、日本領事館もついに閉館。

 数千の「杉原ビザ」受給者が、ソ連を横断し極東の港ウラジオストクから日本の敦賀港に上陸。その中にはカナダ入国ビザを得て、バンクーバーを目指した人々もいた。

出版背景

 「杉原ビザ」を手に、カナダをはじめとする国々まで逃亡を果たしたのはどのような人々だったのか。ビザ受給前後の状況とは。戦後の暮らしは。子孫は今どこに。

 これら「杉原ビザ」受給者と子孫らに関する調査・取材の報告を、2017年、「バンクーバー新報」で25回にわたり掲載。この連載を骨組みに、『太平洋を渡った杉原ビザ』の出版が企画された。それぞれの記事に加筆・訂正を施し、新たな取材内容やビザ受給者が執筆した未公開の逃亡談3本の日本語訳も追加。

 また、「杉原ビザ」受給者の日本上陸時、自国民の救援に奮闘した在日ポーランド大使館の役割、当時のカナダでのユダヤ系避難民受け入れ方針、カナダのホロコースト教育機関の紹介など、「杉原ビザ」にまつわる実話や情報は、連載時と同様、本書においても欠かせない。

 2020年は、「杉原ビザ」発給から80年、杉原千畝の生誕から120年。記念の年に、杉原の出身地、岐阜県での上梓となった。

◆岐阜新聞社刊、324ページ、本体2,000円+税。

(文・高橋 文)

「太平洋を渡った杉原ビザ」高橋文著。 Photo ©︎ the Vancouver Shinpo

『太平洋を渡った杉原ビザ』
 高橋文 編著

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