その知られざる魅力≫ ②
この「カナダで出会った新渡戸稲造」ですが、バンクーバー新報に2017年6月から7回ほど掲載されました。その後、新たな発見や付け加えたいこと、そして少し直したいところなども多々見つかり、今回の新しいオンライン版バンクーバー新報に改めて投稿したく、よろしくお願いいたします。
☆ 出会いの「きっかけ」
新渡戸稲造の名前はもちろん知っていました。「武士道」を書いた人ということもうっすら知っていました。そして5千円札の肖像(1984年~2004年)になっていたことはよく知っていました。ですから、とても偉い人だと思っていました。
でも教育者ということ以外はあまり分からず、具体的にどのようなことをした人なのか、ほとんど知りませんでした。
1994年(平成6年)50歳のとき、家族でカナダ・バンクーバーに移住してきました。そして日本語教師として、UBC(ブリティッシュコロンビア大学)という大学で教える機会があり、その大学の構内にNitobe Garden という、日本庭園があることを知りました。早速見学に行き、新渡戸稲造を記念(紀念)する庭園だということが分りました。
大きな石灯籠や「願わくは われ太平洋の橋とならん」という石碑を眺めながら、綺麗な日本式の庭園に魅了されました。でもその時、新渡戸稲造を記念する庭園がなぜここカナダの大学UBCの構内にあるのか、少し興味は持ちましたが、詳しく調べてみようという気持ちは起こりませんでした。
◎ きっかけの「野球害毒論」
私は子供のころから野球が大好きでした。小学校時代は「ピッチャーで四番」の野球少年。ですから、バンクーバーに移住してからも日本の野球のことが気になり、インターネットで日本の新聞をときどきチェックしていました。
そして2011年(東日本大震災)の秋でした。こんな新聞の見出しが目に入りました。「読売・朝日新聞の100年戦争か」です。いわゆる「読売巨人軍の清武社長の乱」、この記事を朝日新聞が大々的に取り上げたようです。
記事の内容はさておき「読売・朝日100年戦争」がとても気になり調べてみました。2011年の100年前は1911年、実はこの年に野球に関する興味深い記事が見つかりました。「野球害毒論」です。
そのころの日本は大学生の間で野球人気がものすごく高まり、過熱状態で、早慶戦が中止になるなど、大きな社会問題になっていたようです。そこでこの年(1911年)の夏に、まず朝日新聞が学生は野球などに熱中せず、勉学に励むべきとの「野球害毒論」なるキャンペーンを連載し、当時の著名な教育者等がいろいろコメントを出しています。
そのトップバーターが当時、第一高等学校(現東大教養学部)の校長である新渡戸稲造です。彼のコメントは「野球という遊戯は悪く言えば巾着きりの遊戯、対手を常にペテンに掛けよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえに米人には適するが英人や独人には決してできない。野球は賤技なり。剛勇の気なし」
これを読んでびっくりしました。野球少年としてはすごく腹が立ちました。カナダの大学UBCに記念庭園があるほどの人物・新渡戸稲造とこのコメントがどうしても結びつかず、どんな人物なのか、UBCとの関係など、詳しく調べてみたくなりました。
この記事の続きは、今度は秋に、読売新聞がこの「野球害毒論」に対抗して、「野球の素晴らしさ」を展開し世論も味方につけて、読売新聞が勝利したとのこと。それ以来、両社の因縁が100年も続いており、今回(2011年)は朝日新聞の復讐か、との記事でした。
まさにこの「野球害毒論」が新渡戸稲造との出会いの「きっかけ」でした。それから新渡戸稲造のことを調べ始めました。驚きました。びっくりしました。
「えー、教育者だけでなく、国際連盟などでもすごいことをした人なんだ」、「へー、だから台湾には親日家が多いんだ」などと大いに納得しました。
こんなすごい人のことをどうして今まで何も知らなかったのか、日本人としてまた日本語教師として、後ろめたさを感じながら、「カナダで出会った新渡戸稲造」にどんどんのめり込み、夢中になってしまいました。そしてぜひ多くの方々に新渡戸稲造という人物を知ってもらいたく、「生い立ち」から数々の功績など書き綴りたくなりました。
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