エドサトウ
「念ずれば花が咲く」という言葉は、今回のオンライン講演会で拝見した杉本八郎先生の好きな詩人坂村真民(まみお)の一節で、常に思うことが大切という意味で、先生がこれまでアルツハイマー型認知症の薬を開発されてきたモットーでもあるらしい。
杉本先生ばアルツハイマー型認知症の薬の開発は、スティーブ ジョブズが言う「愚かな根拠がない自信である」と言う。
「念ずれば花は咲く」とは、東京の工業高校を卒業されてから今日までの経験を含めた薬の開発に成功されるまでの生き方を意味されているようでもある。
小生のこと言えば、高校生活の後、農業の専門学校(農業研修所)に二年間在籍した。一年生は全寮制であった為、当直の舎監の先生といろんな世間話や雑談をする機会があった。その中に国家公務員の資格を持つK先生がいて、その先生の会話は僕にとって、極めて印象的であった。
K先生が国家公務員の資格を取られたのは、終戦後に岐阜県にある大学に入り直し、大学を卒業された30歳頃の話である。
第二次世界大戦末期に青春時代を過ごされた先生は、戦局が悪化する中で敵国のアメリカの戦艦に戦闘機ごと体当たりをして敵国の戦艦に大きな損害を与えるという特攻隊を養成する予科練に入隊をして、日々の訓練をこなし、出撃命令を待っている時に終戦となる。戦後は、一念発起をして国立大学に再入学をされて、卒業をされたのは30歳ぐらいであったと聞いている。
国のために一度は死を決しられたその一念とか心境などは、ぼくの関心事であり、その純粋性は青春の特性の一つかもしれない。江戸時代幕末に活躍した志士のようであり、小生の好きな関心事であり。先生が舎監の折には、話は熱くなつた。
その折に先生がから頂いた本がクラウド ブリストルの『信念の魔術』である。この本に書いてあることは、自分がやりたい事、なりたい事をいつもおもい続けていると、その夢は実現するという意味のことであったと思う。大切にしまつてあったこの本を十年ぐらい前に仕事を定年退職した友に貸したが、その後、友が亡くなり本も行方不明となつてしまつたのが残念である。今回、杉本先生の「念ずれば花は咲く」を知り、遠い過去を思い出しているのも何かの縁であろうか?
このK先生から、先生が終戦後、たぶん学生時代に使われていただろう米軍用のこい緑色のリュックサックをいただいたので、大事にして実家の押入れに保管していたが、いつの間にかなくなり、母に問うと「あのリュックサックを欲しいという人がいて、お前も使わないと思い。あげたよ!」と言われ、大切な記念品のリュックサックも本もなくなってしまった。そのスピリットだけは今も持っている。
余談であるが、本を貸した友が生前に、彼が身内から頂いた黒い着物を大切に保管していたが、公務員をしている僕の長男に渡してくれと言うので、友から預かり、オタワから帰省した息子に訳を説明して渡そうとした。「僕は、着物は着ないし、もらっても困るから、お父さんが使えば!」と言うので、「これは良い着物だから、大事にして家の家宝としてしまっておいたらいいから」と説明をして渡したが、果たして友人の思いは伝わっただろうか?
たぶん、友は「侍の魂、日本人の心を忘れるな!」と言いたかったのかもしれないが、わが息子につたわっただろか? 着物は日本の文化であり、アイデンティであるまいか?
唐の時代に遣唐使として、日本から中国に渡り現地で役人となり高官に登りつめた阿倍仲麻呂がいるが、現代の西欧社会の中で東洋人である息子の堅実人生を祈りたいものである。
我が家のアジアから来たと思われる桂の葉も秋の深まりと共に葉の色が薄い紫色のようであり、薄いピンク色のようでもあるように変化して見える様は興味深いものである。