念ずれば花開く 3 ~投稿千景~

エドサトウ

 友が残してくれた形見とも言うべき着物は生前大島紬だと聞いている。演劇グループの大先輩のMさんに問うと「大島紬は高いと思いますよ」と言う。勝手な想像であるが、この大島紬に大きな影響を与えたのが、奄美大島で晩年を過ごしていた画家の田中一村ではないかと想像めぐらせるのも面白い。

 彼の天才的才能は、当時認められなく、不遇な人生であった。彼は結核を患ったためか、健康を案じて千葉県から南の温暖な気候の奄美大島に移り住み、自給自足の様な貧しい暮らしをしながら絵を描き続けるのである。やがて、島の人の助けで、大島紬の工場で働くようになり、収入を得る。

 晩年、趣味で絵を描いていた父のコレクションであるNHK『田中一村作品集』によれば、「田中一村という孤絶の画家は誰よりもまして生真面目に周囲の物を見つめ続け、そして、それらの現実の姿と印象とを正確に画面に定着させることに文字道り生涯を尽くした稀有の人であった。ことに晩年、奄美大島に移住して以後は、執拗な観察と厳しい写実が徹底された」とある。父が目指していた絵の画風目標としていた画集であろう。

 世界三大織物の一つと言われる大島紬は地元の鉄分の多い土壌で染められのためか、虫に食われにくく三代は使われる着物はとも言われる。その黒ずんだ黒色は捨て身てきな攻撃的な色だという人もいる。

 日本の大学教授で、着物を海外に伝えている着物研究家の英国人のシーラ クリフさんが「着ることのアートだ」つまり、「着物には表面的な美しさの中に『3Dファッション』としての高い芸術性があることに気づいたことです。…着物は非常にシンプルですが、その寛容性から体型を隠し着る人ごとに個性を演出することもできる。着る人を包み込むキャンパスです」とも言っている。着物を現代風にきこなすことは、新しいファッション感覚なのだそうだ。

 着物を遺してくれた友の家系は侍であったと聞いている。おとうさんは警察官で、戦後まだ、アメリカの施政権下にあった日本の南の島に初めて日の丸の旗を掲揚をしたことは、当時の新聞に報道されたそうである。今で言えば尖閣諸島に日本国旗を上げる事と同じことかもしれない。

 小生の先祖もまた、侍である。父親の代まで戸籍謄本には「士族」と記載されていたと父から聞いているから間違いないとことであろう。

 亡き友とよく酒を飲みながら談笑をしたが、その時友が「侍の生き方、つまり、世間や公を常に意識している。それは、血筋で犬の血統のようなもので、弱い犬はよく吠えるが、強い犬はほえないもののようなものだ」と言っていたのは、興味深く面白かった。

 常に社会を意識して生きてきたのは、ご先祖様のDNA(遺伝)せいかもしれない。多様な社会だからこそ見失いがち伝統的なものを見直すことも必要ではと思う。

 「花は咲、花は咲く、君の夢をのせて! 君は何をのこせただろう」

着物を現代風着こなすことは、新しいファッション感覚なのだそうだ Photo © Kayo Wedding Service
着物を現代風着こなすことは、新しいファッション感覚なのだそうだ。 モデル Niko Williamsonさん Photo © Kayo Wedding Service