リメンバランスデーが近づくと胸元に赤いポピーのバッジをつけている人を多く見かける。毎年11月11日にはカナダ各地で関連イベントが開催され、戦没者を追悼する。今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で参加者を制限して、バーチャルで行われるものが多い。
11月11日午前11時
オーストリアの皇太子夫妻が暗殺されたのをきっかけに、1914年7月28日に始まった第一次世界大戦。戦闘は4年間続き、1918年11月11日に休戦協定が結ばれたことで終結した。リメンバランスデーは、翌年11月9日にイギリス連邦加盟国で慰霊式典が行われたのが起源とされている。
現在のリメンバランスデーは11月11日。同日午前11時には戦没者を偲んで2分間の黙祷が行われる。これはフランスでの休戦協定が発効した時間とされている。
始まりはアーミスティスデー(休戦記念日)という名称で、カナダでは1919年11月9日が最初。その後、1921年から1930年までは11月11日がある週の月曜日だった。
リメンバランスデーが現在のようになったのは1931年。当時のブリティッシュ・コロンビア(BC)州コモックス-アルバーニ選挙区選出連邦議員Alan Neillが11月11日に行う法案を国会に提出し、可決。名称も法案を一部改定しアーミスティスデーからリメンバランスデ―に変更された。
現在では、首都オタワでカナダ総督や首相が参加して大規模な式典が開催されるほか、全国各地で式典が行われる。この日はBC州では法定休日。BC州に住んでいるとリメンバランスデ―がカナダの休日だと考えがちだが、ケベック州やオタワがあるオンタリオ州、ノバスコシア州などでは法定休日とはなっていない。
赤いポピーの意味
リメンバランスデ―につけるバッジの赤いポピーは、退役軍人を支援する団体Royal Canadian Legionが募金活動の一環として配布している。
赤いポピーがリメンバランスデ―の象徴となったのは、カナダ軍医 John McCraeが1915年5月に書いた「In Flanders fields」という詩の影響と言われている。戦闘の激しかったベルギー・フランダース、ここにあった兵士たちの墓地には真っ赤なポピーの花が咲いていた。友人が戦死した翌日、そのポピーを見て書いたとされるこの詩は、イギリスの雑誌に掲載された。
追悼の気持ちを込めて赤いポピーの花をつけた最初は、この詩を読んだアメリカ人女性Moina Michaelと紹介されている。
また1920年にはフランス人女性がアメリカ訪問中にポピーの花の習慣を知り、フランスに戻り戦争で被害を受けた地域の子どもたちのために募金活動としてポピ―を売ることを思いついた。これが赤いポピーの花と募金が結びついた最初の物語だ。
カナダでは、Royal Canadian Legionの前身The Great War Veteran’s Association in Canadaが、1921年7月5日、赤いポピーを追悼の花として正式に採用した。1925年にRoyal Canadian Legionとなって以降には、募金活動を行い、赤いポピーのバッチを贈っている。
今年のリメンバランスデーイベント
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響でバーチャルイベントが多い。そのためローカル以外のイベントに参加することもできる。
例年、大きな式典が行われるバンクーバーダウンタウンのビクトリースクエアでは、当日は一般の立ち入りが禁止となっている。ただし、式典の様子はGlobal BCで生放送され、Global BCのFacebokページでもライブストリームされる。
・日系カナダ人戦没者追悼式典
(スタンレーパーク日系戦没者記念碑前)
スタンレーパークの日系戦没者記念碑前での式典に参加できるのは招待客のみ。バンクーバー日本語学校並びに日系人会館ではライブストリーミングイベントがあるが、こちらも招待客のみとなっている。いずれの式典も11日10:30 amに開始する。
式典はYoutubeでどこからでも見ることができる。
・オタワのNational War Memorialでの戦没者追悼式典
首都オタワでの戦没者追悼式典は、Royal Canadian LegionのFacebookページでLive Streamを見ることができる。第二次世界大戦終了75年目の今年は、式典の最後に第二次世界大戦で活躍したビンテージ戦闘機3機がオタワの空を飛ぶ。11日10:45 am(東部標準時間)から。
・国立戦争博物館のデジタル展示
オタワの国立戦争博物館の新しいデジタル展示。第一次世界大戦で戦死した兵士が、戦場に向かう前に娘から贈られたテディベアの写真、戦死した兵士の死亡報告書などが展示されている。
(取材 西川桂子)
参考資料