~グランマのひとりごと~
『念』を入れて生きるかぁ。『念』の文字を分解すると「今」の「心」。今、目の前にいる「人」も「事」も、大事にすることだよなぁ。
思いがけない先輩の「脅し英語」のあいさつから始まったLufthansa入社一日目。当時、こうして外国の会社に一人働く日本人男性は弱い立場に見えましたがねぇ。逆に「愛いっぱいの歓迎」は、親友トビーと他のスタッフ一同。私はただただ嬉しかった。そして、トビーの心のこもったトレーニングの開始だ。彼女は自分の持つ知識の全てを私に伝えようと一生懸命教える。本当にそれは今、思い出しても胸が熱くなる。生涯忘れる事はないだろう。ありがたかった。つまり、今、目の前にいる人を大切にする『念』なのだ。
そして、彼女は私のトレーニング終了と同時にニューヨークへ旅立っていった。あれから半世紀、今もなお全く距離を感じない親友だ。彼女の生き方を見ていると正に全て『念』で生きている。綺麗な生き方だなぁとしみじみ思う。
トビーがいなくなり、さらにそれから数カ月、真冬の寒さ厳しいハンブルクへ私も飛びたった。
厳しく、また難しいトレーニングに備え、前もって東京のスタッフが、私の受けるコースのあらゆる資料をカンパニーメールでジャンジャン送ってくれた。当時のトレーニングセンターはハンブルクだったが、翌年には新しいセンターがフランクフルト空港からバスで30分くらいの所「ゼ―ハイム」に開館した。
1960年代、当時東京のLHスタッフは、参加する各種どのコースでも90%-100%の成績を取った。彼らは、成績優秀賞、褒美の無料航空券をもらい、また、世界中に配布の社内誌で「優秀な日本人スタッフ」として紹介され、紙面を賑わせていた。
互いに助け合い、立派に仕事をなす彼らは、私にとっても非常に誇りだった。自分が在職中、毎回難しいトレーニングをパスできたのは彼らの助けのお陰である。ルフトの世界各国での採用職員にとって、この社内トレーニングの成績は、そのまま昇級/昇給に関係する。
だから競争相手の同僚を応援することはまずない。しかし、日本人スタッフは違う。互いに助け合うのだった。香港の空港に働く私にまで…。ある人が言った。「人がこの世に生まれた目的は『喜ばれる存在になること』、『喜ばれる存在』の喜びは『自分が喜ぶ』喜びとは比べられない」
彼らは何時でも遠くの私に助けの手を伸ばしてくれた。これって、同じ日本人だから助けたのだろうか?私には彼らが「喜ばれる存在になること」、それを心情に生きているように思われた。代わりに香港の同僚は全く何も教えてはくれなかったが、どんなに勉強が大変か苦労話は聞かせ、私は「トレーニング」へ行く勇気と覚悟ができた。
とにかく、我々はパソコンのない時代だから、テレックスで各国間連絡を取り合った。会社もまたスタッフが働きやすいように協力する。ドイツ語を勉強したいスタッフには無給1年休暇を与え、留学もさせていた。日本人スタッフでドイツ留学を終えた人もいる。
ある時期、今の新型コロナウイルスによる不況ほど最悪状態ではないが、世界中の航空業界の不況時期があった。そして、私たち平社員にも通達があった。
ルフトハンザの定期便は東京を出発し、香港、バンコック、デリー、アーサン、フランクフルト、6つのステーションに離着陸する。各便、先ずは「時間厳守」をしようという。もし各ステーションで10分ずつ遅れれば、終点フランクフルト到着は1時間の遅れとなる。その遅れにかかる費用は莫大だ。非常に緊張して1分遅れにも注意をし、全員がエージェントの助けも借りてハンドルした。そして数カ月の後、結果は出た。無論それだけが収益を出せた理由ではない。しかし、世界中の航空会社中、赤字を出さなかった3社の一つになったのだ。ここでの学びは「やればできる」だ。どんなに底辺でも小さな一人一人の仕事がいかに大切か私は学んだ。
2001年、インドの占い師がグランマはインドカレンダーの82-3歳までの命と言った。あれから20年、私の生活はまるで彼の言ったとおり、70歳後半で何か物を書くということまで予想して言っていたじゃないか!そして、今グランマは81歳。まぁ、いいかぁ。残りの人生『念を入れて生きる』だよねぇ。
3に続く
グランマ澄子
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好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。
今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。