古川夏好(こがわ・なつみ)さん(当時30)が、2016年9月にブリティッシュ・コロンビア(BC)州バンクーバーで遺体で発見された事件では、2018年11月に裁判所がウィリアム・シュナイダー被告に14年間は仮釈放を認めない終身刑判決を言い渡した。しかし、翌年5月にシュナイダー被告が控訴して、今年10月16日に控訴裁判となるかを決めるための公聴会が開かれた。
古川夏好さん殺害事件
バンクーバーに語学留学していた青森県出身の古川夏好さんが、2016年9月8日に友人とLineでのやり取りをしたのを最後に行方不明になった。警察だけでなく、友人らもビラを配ったり、Facebookのページを立ち上げたりと懸命に行方を捜していたが、同28日に空き家になっていたバンクーバーウエストエンドのガブリオラ・ハウスで遺体で発見された。
この事件で犯人として逮捕されたのは、ウィリアム・シュナイダー被告(53)。夏好さんと並んで歩く姿が映っていた監視カメラ画像が公開されていた。
警察犬が発見した遺体はスーツケースに入れられていたという。行方不明となってから3週間近くが経過して、遺体は腐敗が進み、検視官は死因を確定できなかったほか、被告を結びつけるDNAは検出されなかったとされている。夏好さんに外傷はなかったが、体内からは抗不安薬ロラゼパムの成分が検出された。
被告は夏好さんの遺体をスーツケースに入れたことは認めたが、殺人については否認していた。裁判所は、2018年11月にシュナイダー被告に第二級殺人で終身刑判決を言い渡したが、2019年4月に被告が控訴。新型コロナウイルス感染拡大で延期となっていた公聴会が、10月16日と19日の2日にわたり開かれた。
被告は殺害を否認
被告は前の裁判において誤りがあったとして控訴請求を行っている。2年前の裁判では、被告が逮捕される前に、前妻に電話をして事件について「I did it(私がした)」と話しているのを聞いたと被告兄が証言している。しかし、それは「I did it(私がした)」で「I killed her(私が殺した)」ではなく、十分な証拠ではないと今回の公聴会で弁護側は主張した。
被告は夏好さんの遺体をスーツケースに入れたことは認めているが、殺人は否認していた。
10月の公聴会で弁護側は判決を破棄して、裁判を新たに開くことを求めた。一方、検察側は先の裁判には何ら問題はなかったとして、異議を唱え、被告への原判決が維持されるべきとした。
終わらない遺族の苦しみ
夏好さんの母、古川恵美子さんは、バンクーバー新報の取材に対して、総領事館から被告が控訴をするようだと2019年4月に対して連絡を受けたと語った。そのときの気持ちについて、「夏好に謝罪の言葉すらなにひとつないのに、自分の主張だけを繰り返す相手に対して許しがたいものを感じました」と振り返る。
さらに、終身刑判決が出た2年前の裁判についても、「裁判での被告の証言は嘘だとはっきりわかるようなことばかりでした」という。「命を奪ったうえに、人としての尊厳まで傷つけるような嘘の証言を平気でしていました」。
夏好さんの体内から抗不安薬の成分が検出されたことについても、「風邪をひいても薬を飲まない、薬の嫌いな夏好の身体から、不思議なことに薬物が検出されました。その時に飲まされたとしか考えられません」と訴える。
「ところがシュナイダーは夏好が自分から飲んだと嘘の証言をして保身に走りました。そんな数々の態度にいまだに憤りを感じています」
控訴についても、「人の気持ちがあるのなら反省し罪を認め謝罪するところなのに、人の心を全く持たない人間がなぜまた弁護され守られようとしているのか、私には理解できません」と怒りと困惑を語った。
今回の公聴会は、コロナ禍の中であったこと、またZoomでオンラインで行われたこともあり、恵美子さんは日本で視聴した。時差があるため日本時間で深夜の開始ではあったが、近くにいる息子たちと一緒に被告の主張を聞いたという。また、離れている息子らもそれぞれの家で、夏好さんの友人で現在も協力しているバンクーバー在住の4人がバンクーバーで、現在日本に住んでいる3人が日本で公聴会の行方も見守った。
在バンクーバー日本国総領事館の担当者も公聴会の様子を視聴したそうだ。その後、総領事館からは英語で行われた公聴会の内容について、恵美子さんに連絡があったほか、「事件発生の時から今まで、なんらかの動きがあった時には密に連絡をくださっています。私たちが渡加したにも手厚いサポートをしてくださいました」と感謝を述べた。
公聴会での主張を基に、裁判所が双方の主張について審議して、控訴の裁判が行われるかを決定する。再度裁判を行うかの決定には数カ月を要するとみられている。
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古川恵美子さんコメント
夏好は誰に対しても思いやりのある明るい娘でした。シュナイダーに対しても同じように接していたことは間違いないはずです。そんな夏好に対して自己中心的な行動をとり、命まで奪ったシュナイダーを絶対に許すことはないと思っています。
事件後から私たちの生活は正常なものではなくなり、体調を崩し、病気に苦しめられています。
私の母に至っては孫の夏好の変わり果てた姿を初めて見たその日に悲しみのあまり倒れ、救急車で運ばれました。それからの3年間、何度も入退院を繰り返し、とうとう昨年亡くなりました。
もうこれ以上誰も苦しめないでほしいし、誰にも迷惑をかけないでほしい。一生、刑務所でから出てこないでほしい。
事件が起こったのは、夏好がバンクーバーに住むようになってほんの3~4カ月しか経っていないときでした。にもかかわらず、夏好が消息不明になってから多くの方々に寝ずの捜索活動をしていただきました。
夏好が発見されてからは右も左もわからない私たち遺族はバンクーバーの皆様にさまざまな形でサポートしていただきました。
そして今もなおずっと支えていただいています。
息子たちはまだ完全に元の精神状態には戻れていないようですが、少しずつ笑顔を取り戻してきています。私もようやくここ最近から、いくらかずつ仕事ができるようになってきたように感じています。
夏好を失った私たち家族は肉体的にも精神的にも過去に経験したことがないほどの苦しい毎日を送ってきました。
しかし、こうして今なんとか生きていられるのはバンクーバー総領事館の職員の方々をはじめバンクーバーのコミュニティの皆様のおかげと言っても過言ではありません。
どんなに感謝の言葉を重ねても気持ちは言い表せないほど感謝しております。
(取材 西川桂子)