外から見る日本語
コロナとお付き合いしてからもう一年以上、最初はまさかこんなに長く続くとは夢にも思わず…、もうきっぱりとお別れしたい気持ちである。何とかオンラインの授業や同窓会などで気分を紛らわしており、先日も日本語上級者数名とズーム飲み会を行なった。
久しぶりにダウンタウンに出かけたK君から、「道を歩いている人も少なく、店もいっぱい閉まっていて、とてもさびしかったです」との報告が、そして、このような場合は「さびしい」と「さみしい」どちらがいいですか、こんなことが話題になった。
これは日本語教師としてよく受ける質問である。確かに「さびしい」と「さみしい」両方使っているし、漢字も「寂しい」と「淋しい」と二つあるので、日本人でもややこしい。でも言葉の語源を調べてみるとなかなか興味深い。
先ず「さびしい」だが、古く平安時代ごろに「いとさびし」などと清少納言ものたまっていたようで、それ以来ずっと今でも使われている。一方「さみしい」は江戸時代に広まったたようで、日本語によく見られる「バ行音」が「マ行音」に変わる音韻変化、すなわち「さびしい」の「び」が「み」に変化して「さみしい」になったとのこと。
なるほど。例として「さぶい」が「さむい」、「けぶり」が「けむり」や「「つぶる」が「つむる」などであり、現在では後から出来た「さむい」や「けむり」のほうが主役になり、一般的に使われている。でもこの「さびしい」は今でも主役として、まだ「さみしい」に負けず頑張っている。すごい。
もちろん、「さびしい」と「さみしい」どちらを使っても問題なしだが、放送関係などは「さびしい」のほうを優先的に使っており、日本語教育でも初級は「さびしい」を教えている。また辞書なども「寂しい」の読み方に「さみしい」は載っていない。やはり「さびしい」が主役である。
さて、「さびしい」と「さみしい」の違いだが、学校で習った記憶などない。でも個人差もあろうが、日本人は何となく使い分けている。客観的にひっそりとしているような場合は「さびしい裏通り」であり、感情などが強く入った場合は「ペットが死んで、さみしい」など、「さみしい」を話し言葉として使っている人が多いのでは…。
また、漢字の「寂しい」と「淋しい」だが、「淋しい」は常用漢字に入れてもらえず、とてもさみしい。それゆえ公文書やビジネス文書などには「淋しい」は使わないほうが良いとされている。でも個人のメールなどは全く問題なし。涙が出るほどさびしい時はこの漢字「淋しい」を使いたい感じである。
K君に人通りが少なくて涙が出るほどさびしいと感じたら、「さみしい」のほうがいい かもね、と講釈を垂れながらズーム飲み会を終わりにした。
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