スティーブストン日本語学校が創立されて今年で60年になります。
本校は創設以来日本の言語と文化を日本語を学習する生徒とコミュニティー全体に伝える役目を果たしてきました。しかし、創立60周年を迎えた2020年、コロナウィルス感染拡大により、学校での対面授業が行えないという事態を迎えました。(2020年4月より、授業はZoom にて行われています。)2020年初め、学校では様々な60周年記念行事を企画していましたが、それも全て中止となり、寂しい60周年となっています。
そこで、別の形での記念として、2020年10 月より2021年6月まで、2ヶ月に一回保護者・生徒に向けて60周年記念ニュースレターを発行し、学校の歴史を伝えていくことにしました。
今回、「バンクーバー新報」にもその記事を投稿することになりました。一人でも多くの方に本校の歴史とコミュニティーへの貢献、そして本校の存在意義を知っていただけることを願います。
第1回:スティーブストン日本語学校の開校まで
1900年初頭、リッチモンドの南部に位置するスティーブストンには漁業に携わる日系人移民が多く住んでおり、その子供たちへの日本語教育は、当時存在した日本人病院と日本人教会で行われていました。
1909年、最初の日本語学校が日系漁業団体の援助により、スティーブストンのNo.1 Rd.の東側とChatham St.の北側の地に建設され、2年後の1911年2月18日に、初代校長高嶋信太郎氏のもとで学校開校の運びとなりました。記録には、当初12〜13名の生徒を対象に始まったこの日本語学校は、全盛時の1928年(昭和3年)には294人もの日系人生徒が通っていたとあります。
しかし、第2次世界大戦が始まり、カナダ国内の日系人は収容キャンプへの強制移動を余儀なくされるようになります。戦争囚人収容所や工業開発予定地、テンサイ/サトウダイコン農場へ送られる者もいました。
スティーブストンの日系人も例外ではなく、BC州内陸部の収容キャンプへの移動を強いられる事となりました。このため、1941年にスティーブストン日本語学校も閉鎖となりました。スティーブストンにある公立小学校、ロードビング校(旧スティーブストン校)では、1941年当時、550人いた生徒が、日系人強制移動のために130人にまで減少したという記録があります。当時スティーブストンに日系人がいかに多かったかをうかがう事のできる記録です。
戦後、スティーブストンには日系人が徐々に戻り始め、新たな生活を始めていきました。子供たちの日本語教育のために、1949年に旧スティーブストン仏教会の地に、河畔学園(リッチモンド日本語学校)が開校しました。
戦時中に財産を没収され、反アジア感情もまだ根強く残っている時代で、日系人は様々な苦難に向き合っていましたが、スティーブストンに戻ってきた日系人は、地元コミュニティーと再び共に生きていくという姿勢を力強く示しました。
その共生の一つとして、日系団体は当時計画中のスティーブストン・コミュニティーセンター建設のための資金を集めて寄付し、1957年のスティーブストン・コミュニティーセンター開設に大きく貢献しました。そして、1960年9月、コミュニティーセンター内に、スティーブストン日本語学校が正式に開校されました。
本校は日系子女だけでなく、いかなるバックグラウンドの子供も受け入れ、当時としては珍しい日本語学校でした。その後、リッチモンド市との協力を基盤に学校での日本語教育は順調に進み、1971年には、12年間通った生徒の卒業式が初めて行われました。
そして、1975年6月に、同じスティーブストンにあったリッチモンド日本語学校と合併し、同年11月には非営利団体としての認可を取得しました。そして現在に続く「スティーブストン日本語学校ソサイエティー」となったのです。
参考文献:
本校ウェブサイト
本校記念文集「しおかぜ」「しおかぜ2」
バンクーバー新報 2020年9月24日 斉藤美代前校長/理事投稿記事
「2020年にスティーブストン日本語学校創立60周年を迎えるにあたって」
「月報」 The Bulletin 1996年2月号
http://www.discovernikkei.org/en/journal/2018/1/19/steveston-community/
https://www.greenwoodnikkei.ca/page10.html
入学並びに編入をご希望の方は、本校のウエブサイトwww.sjls.ca をご覧になって下さい。
住所:4111 Moncton Street, Richmond, BC (SCC と同じ住所)
電話:604-274-4374
(スティーブストン日本語学校ニュースレター委員会)