エドサトウ
僕は映画に出ることになった。以前から、バンクーバーで長く活動を続けてきた座ダイコンのかたから、演劇の経験が十年になる小生に映画の話があるから応募してみてはと言われていたが、高齢の自分には無駄な抵抗のように思われて関心を示さずにいた。
ところが、座ダイコンのメンバー多くに旅役者のような役があるからどうですか?という話があり、それならば僕らの劇のためになるから「やろう!」と僕が乗り出し、さっそく簡単な顔写真をメールするとすぐに映画会社から台本の一部が送られてきて、台本を自演したビデオを製作して送ってくださいとのこと。
仕事から早く帰った晩夏の夕食後に庭に出て自撮りの動画をつくり映画会社に送るが、しばらく返事が無いので「やっぱりだめか?」と思っていたら、また返事が来て、今度は別の役でオーディションをするという話になる。
翌日は、ステーブストンエリアの工事中のお宅で仕事があったので、急きょ連絡を取ってもらい約束の時間11時にそのお宅のサンデッキをお借りしてズームミーティングによるオーディションを受けた。
僕自身の台詞は日本語であったのだけれど、相手役の方はズームの向こうで英語を読むという。英語ではあまり自身が無いので僕のところにきたら手でサインをしてもらうことにして、着物をはおり、それらしい演技をする。カメラを持つ息子に「カメラを高くしてくれ」とか、僕に「後ろ向いてもう一度やつてくれ」などとズームの向こうかから指示がくる。
約30分くらいのオーディションではあったが、最後に向こうから「Good(良かった)」返事が来て一安心をしてオーディションは終了した。
その後、映画会社から「11月の某日から2週間、撮影の時間が取れるか?」と問い合わせがあり、「問題はない」と返事をして、今回の本番の撮影となったのである。
座ダイコンの仲間達も何人か応募したが、オーディションの返事がないところを見ると小生は仲間の中でも運良く貴重な体験をしていることになるらしい。
ハリウッド映画を目指して、カナダに来たという知人もいるが、なかなかその道に到達するのは難しいようである。どんな人生でも、自分の夢を達成するするには、数々の困難があると思うけれど、それをどう切り抜けるかは本人自身の努力と知恵によるしかなかろう。僕の場合はたまたま運良く映画に出演できたということであろう。
喜びも悲しみも過去の扉に押し込めて、静かに過ゆく晩秋に嬉しくもある撮影会かな
若いころから演劇に携わってきた座ダイコンの長老水野さんに今回、映画出演の話を伝えると「エドさんは、ひょうひょうといきなさい」と言われた。言い換えれば「自然体で自分に好きなようにやりなさい」ということかもしれない。
カナダでの50年になる人生もまた、ひょうひょうと生きてきたのかもしれない。晩夏に、むくむく湧き上がる白雲、その白雲が流されていくような自分の人生であったのかもしれない。亡き妻の習字の作品に力強く書かれた「白雲満空山」というのがあるが、何となくその意味が分かってきた今日この頃である。
ふだん杖を突いて尋ねてくる人もいない遠いバンクーバーに、日本から映画の人が来て白雲も驚いて舞ゆかんという意味に解釈できるかもしれない?