~認知症と二人三脚 ~
ガーリック康子
会うのはこれで最後と別れてから4ヶ月。死亡の知らせが届きました。
その前年も、いつも通り年末にかけて日本に一時帰国していました。療養入院をしていた母の容体は思わしくなく、主治医の先生には、あと1ヶ月は持たないと告げられました。もしかして見送ることができるかもしれないという淡い期待を抱きつつ、カナダに戻る直前に滞在を延長。面会に通う日々が続きました。
その頃、母の認知症はかなり進み、寝たきりで、もう言葉は話せません。面会に行っても、うとうとと傾眠状態で、時々目を覚ましますが、話しかけてもあまり反応はありません。それでも、孫たちのことや、私が音読する新聞のニュースの話をし、髪をとかし、口呼吸で乾いた唇を潤し、やせて皺だらけになった手をさすります。
食べることが好きだった母が誤嚥を繰り返すようになり、カテーテルを通した静脈栄養にしてから、母の身体は、会う度にどんどん小さくなっていきました。見る影もなくやせ細り、骨と皮だけになってしまった母の姿とは対照的に、胃瘻をつけた患者さんは、肌の色艶が良く丸々としています。「静脈栄養」は家族間で話し合っての選択でしたが、「胃瘻」か「静脈栄養」か、または「何もしない」かの選択を迫られた時、「胃瘻」を選択していれば、母はまだ生きていたかもしれません。もし、「何もしない」ことを選択していれば、母はとっくに帰らぬ人となっていたでしょう。
さて、その日も午後から病室を訪ねていました。ほとんど眠った状態で、呼吸はそれまでになく早く浅くなり、とても苦しそうです。時々、呼吸が止まるような気もします。巡回に来た先生に尋ねると、死期が近づいていることを告げられました。このような呼吸になっても、本人は苦しくはなく、逆に痛みをあまり感じなくなっているそうです。「今夜が峠」と言われましたが、母はなんとか持ちこたえ、容体は安定し、そのまま小康状態を保ちます。それからしばらくして、後ろ髪を引かれながら、私はカナダに戻ります。
認知症が進行すると、最後には食事を摂らなくなります。認知症の場合、記憶障害で食事をすることができなくなることはありますが、末期の病気の併発や脱水症状もなく、嚥下障害で食べられない状態でもなければ、体が栄養を必要としなくなっている証です。食べなくなると、だいだい2週間から3週間で亡くなるといわれています。
まず、食べなくなると、身体が脱水症状になり、日中も「傾眠」をする、つまり、うとうとと浅く眠っていることが増えます。(肩を叩くなどの軽い刺激をしたり、名前を呼んだりすると目を覚まします。)食べなくなる理由は、体内で水分を処理できなくなるためです。無理に飲ませたり食べさせようとすると、気管支に詰まり、肺炎などを起こしたり、身体が浮腫んだり、腹水や痰がたまったりしてしまい、却って本人が苦しむことになります。
また、呼吸にも変化が見られるようになります。通常、1分間に20回程度の呼吸数がだんだん早くなり、1分間に40回から50回になります。呼吸のリズムは一定せず、早くなったり遅くなったり、無呼吸状態になることもあります。そのうち、喉に痰が絡んだような、ゼーゼーという音がするようになり、さらに進むと、口をパクパクさせ、下顎を引いて喘ぐような呼吸をするようになります。これは、「下顎呼吸」という、死の直前に必ず現れる状態です。酸素の取り込みが少なくなり、顎と頬の筋肉を動かして酸素を取り込もうとする、喘ぐような呼吸になります。体内の酸素濃度が下がることで、二酸化炭素濃度が上がると、脳から「エンドルフィン」という麻薬物質が分泌され、恍惚状態を導きます。喘ぐような呼吸をしていても、苦しくはないそうです。
そして、死期が近づくと、手足が冷たくなり、血色が悪くなってきます。身体が正常に機能している時には、心臓が全身にくまなく血液を循環させています。しかし、身体の機能が低下してくると、心臓や肺などの生命維持に必要な器官を優先して血液が循環し、手足や指先などに血液が回ってこなくなるために起こる現象です。
食べられない状態を目の前にすると、何か食べさせたくなるのが自然な気持ちです。家族が現状に納得できず、医師に勧められるままに、胃瘻をつくることに同意するのもまた然り。
自然に任せた最期を迎えたいというはっきりした希望がある場合、是非、その気持ちを家族に伝えておいてください。家族が苦渋の選択を迫られずにすみ 、家族間の不協和音を防ぐことにもなります。
*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。