外から見る日本語
日本語の文法に関心を持つ上級者から久しぶりにメールが届いた。「先生、お久しぶりです。お元気ですか。コロナの病気に注意してください」。なかなか大した書き出しである。そしてやはりこんな質問が続いた。「元気な人」はいいですが、「病気な人」はダメですね。でもどうしてダメですか…。なるほど、これは今まで何回か受けた質問である。こんなこと日本人はあまり気にしたことないが、確かに上級者になると、なぜダメなのか…、気になるのであろう。
中学校で習ったが、日本語文法には形容詞と形容動詞がある。でも日本語教育では「暑い・寒い」などの形容詞は「い」で終わるので「い形容詞」、「元気な・健康な」などの形容動詞は「な」で終わるので「な形容詞」と教えている。彼の質問はこの「な形容詞」について、「元気な」や「健康な」という形容詞があるのに、なぜ「病気な」という形容詞はないのか…。うーん、日本語教師としては何とか説明しなければならない。
この「な形容詞」(形容動詞)は名詞に「な」が付いたもの。もちろん、すべての名詞が「な形容詞」になれるものではない。ではその区別は何か…。確かに「元気な人」は使うが、「病気な人」は不自然に感じる。でもなぜ…。
こんなこと我々日本人は考えたこともないが、母語としてちゃんと「元気」と「病気」の違いを感じているのである。「元気」はどこから元気なのか、そんな決まりはない。人によってまちまちであり、「元気の人」では理解しにくく、形容詞の「元気な人」のほうが馴染める。「健康な」も同じであろう。学んだ覚えはないが…。
しかし「病気」は少し熱でもあればもう病気であり、何となく病気という枠を感じるので、形容詞など必要なく「病気の人」がしっくりする。やはり「病気な人」や「風邪な人」などは母語としてちぐはぐな感じがする。なるほど、さすがである。
こんなこと、日本語を母語とする人でなければ難しい。どんどん日本語の新聞や本を読んだり、積極的にいろいろな人と会話をして、生の日本語を身につけてね、と説明にならない説明をした。でも、確かに日本人にとっても、感覚や個人差もあり、微妙な言葉もある。「平和な国」と「平和の国」、「自由」なども両方使っており、ややこしい。この「病気な人」も違和感を覚えない人が多くなれば、いつか耳にする日がやってくるかも。
あまりいい例ではないが、「危篤」とはすでに意識がなく、いつ亡くなってもおかしくない状態のことであり、「危篤の人」である。でも同じ「きとく」でも「奇特」は枠など定まっておらず、人によってまちまち。そこで形容詞として「奇特な人」がふさわしく感じる。確かに。
ところで、この「奇特な人」だが、昨今、奇妙で風変りな人のようにあまり良くない意味として解釈している人がかなりいるとのこと。でもこの「奇特な」は行動などがとても優れている褒め言葉であり、「奇特な人ですね」と、言われたら大いに喜んでいただきたい。 来年こそは素敵の、じゃなく、素敵な年になりますように !
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