第60回 「自己主張」の裏表

 日々起こる社会現象には必ず表裏の両面があるものだ。一方から見れば「よし」と思うことも、反対の側面から観察すれば、必ずしも賛成出来ず「如何なものか」と感じることは多々あるのが常である。

 政府が規定するワクチン接種の義務化、特に米加間を行き来するトラックドライバーに課したことから始まった首都オタワでのデモは、1月28日から始まり3週間近く続いた。米加間の物流に欠かせないアンバサダー橋を無数の大型トラックが埋め尽くし、市内を始め近隣の人々の生活は大変な悪影響を被った。今週には一応鎮静化したようだが、スッキリと解決したとは見受けられない。

 この間世論は賛否両論に分かれたが、デモ隊たちは「国民の持つ権利の自由を政府に支配されたくない」と主張し続けた。コロナの蔓延を出来るだけ最小限に抑えたい政府は、接種することを推し進めているが、「人権」の立場から見ると憤懣やるかたないのである。

 目に見えないコロナの病原菌に世界中が怯えるようになってから丸二年。予防のためにワクチン接種を三回打つことが日常化しているが、だからと言って絶対に罹患しないと言う保障はなく疑問点も多い。年明け早々には接種が完了していたツルドー首相でさえも、月末に陽性になった自身の子どもからうつされたとのことで数日間自主隔離をした。

州都ビクトリアでのデモ 

 オタワに比べ規模こそ小さいが、BC州の州都ビクトリア市の州議事堂の前でも、デモ隊が奇声を上げる日々が今も続いている。中にははるばる島の北方の町キャンベル・リバーから参加した女医さんもいた。医療者側の言い分として彼女は「私はワクチン接種に反対ではない。実際のところ自分も受けているが政府が強制するのには納得が行かない」と主張。「政府は国民に十分な情報を与えた上で、後は個人がそれぞれの立場から決定することが大事」と言う。自分の患者にはinformed consent(同意書)を実施しており、「個人の生き方は個人が決めるべき」との立場をとる。

 自己主張の強い国民性が如実に表れており、一口にデモと言っても、それぞれの立場から参加していることが分かる。「権利」をトコトン追及するこうした言い分は、一見身勝手のようでもあるが、反面では理にかなった考えであることも理解出来る。

他人の気持ち

 昨秋ノーベル物理学賞を受賞したプリンストン大学の真壁叔郎氏は、日本の国籍を捨て米国籍になってまで自分の研究を続ける理由を「(日本人は)とても調和的な関係を作っています。日本人が仲がいいのはそれが主な理由です。ほかの人のことを考え、邪魔になることをしないようにします」と言い「なぜそう言うかというと、彼らは他人の気持ちを傷つけたくないからです。だから他人を邪魔するようなことをしたくないのです。アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません」とインタビューで答えた。

 北米で生活していると、真壁氏のこの言葉は身に染みて分かるが、反面それが自分本位な利己主義から来る場合も多いにあることにも気付く。

 日本もこの二年間政府が次々と打ち出す、時には“一貫性のない措置“に国民は翻弄され続けている。それによって商売を畳んだ人も続出しているが、規制反対デモなどは絶対に起こらなかったし、これからも決して起こらないことを確信する。

 “それが日本人なのだ”と言えようが、特にオーソリティに対しては驚くほど従順なことに、時々は苛立たしさを覚える。そう感じるのは私一人ではあるまい。

半分お祭り気分さえ感じられる州議事堂前のデモ。悲壮感のない所がカナダ的か?Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders
半分お祭り気分さえ感じられる州議事堂前のデモ。悲壮感のない所がカナダ的か?Photo courtesy of Keiko Miyamatsu Saunders

(2月14日記)

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。
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