ウクライナと鹿毛達雄さんを偲んで
エドサトウ
インターネットで「ばんくーばー新報えどさとう」で検索すると小生の最近のエッセイが読めるようになっているが、それとは別に「南京事件から学ぶ」というエッセイがあり、この事件はドイツのホーラコストに反対することと同じであるということは、かっての太平洋戦争の時に、カナダ、アメリカの日系人が強制収容所に送られたのと同じケースなのかと思えば、少々不愉快な気分になった。
このような問題をなぜにカナダで論じなければならないのだろう? あの南京虐殺のプロパガンダにより、当時のアメリカの世論は大きく参戦に傾いたといわれる。そのためか、最後の日米交渉は破棄され日本は太平洋戦争に突入してゆくのであるまいか?
南京虐殺の一部を現地で記録した米国牧師の8ミリフィルムが米国の教会などで上映されたり、米国の雑誌に掲載されて、モンロー主義によりヨーロッパなどの戦争に干渉しないはずの米国の世論は参戦へと傾いてゆくのである。
かれこれ、十年以上も前の話である。中国で発行された古本の写真集を、バンクーバーで買ったことがあるが、その中にある南京虐殺らしき写真の日本兵の軍服を着ている顔立ちは、僕の印象では、まるで日本人とは異なるように見えた。丸顔で目もクリクリして大きな目であったことが別の印象であった。
鈴木明著「『南京虐殺』のまぼろし」(文芸春秋)を読めば、そういう事実の可能性はかなり低くいように思える。戦勝国による裁判であれば、当事者の声は聞き入れられなかったように見えることは、報道によるプロパガンダのためのようにも思える。
とにもかくにも、戦争となり、苦労したのは、敵国人となったアメリカ大陸にいる日系人であろう。財産を没収されて、ほとんどの日系人が強制収容所に送られたのである。その遠因となったのは南京虐殺のプロパガンダでないのだろうか?
終戦後、日系人は仕事を探すのに苦労する歴史があったことも南京事件と同じように、大いに語っていただきたい。
7年前に亡くなられた尊敬すべきアメリカ人であるアメリカ上院議員ダニエル・イノウエのことも大いに語っていただきたい。ハワイ出身の日系人で、戦争中はヨーロッパ戦線で片腕をなくされた傷痍(しょうい)軍人であられたイノウエ氏は自由の国アメリカのために頑張られ、その葬儀は国葬であった。
戦争という困難を乗り越えた一種の人類愛を感じるのは小生一人ではないと思う。
さて、中国の現在は、自由貿易の時代と変化しているなかで、中国のウイグルのことや香港ことも語るべきではないのだろうか?
過日、芥川龍之介のテレビドラマの中で、過去(清の時代)の中国は、非常に国が乱れていて、生まれたばかりの赤子を三元で、娘さんを五十元で売るという話があり、そこから類推すれば、当時の韓国でもあったのではと思われることは、従軍の性的産業の中にも、本人の意思とは関係なく、そういう職業についていた人がいたのではないかと思われる。
僕のような文章を書く者は、占い師のようなものかもしれない。わずかばかりの知識と断片的な思考で全体を書こうとしているわけだから、きわめて偏見に満ち満ちるといえるかもしれない。
正月に読んでいる田中美知太郎著『ロゴスとイデア』(岩波書店/文藝春秋)から。
「国家社会に於ける百般の事柄の指導は即ち最高の学問の仕事であって、それは、プラトンによれば、『善のイデア』の認識にもとづく哲学の仕事でなければならなかったのである。しかるに、実際の権力者というものは、何らかかる知識を持つものではなく、また学問の忠告に耳を傾けようともしないのである。彼らは、自己の思いつきや誤れる信念を以って、自己一身の栄誉や利益のために行動する。そして彼らが支配の手段として用いるところのものは、動物的な暴力であり、ゴルギアス流のデマゴギーなのである」