~認知症と二人三脚 ~
ガーリック康子
私には、カナダの「おばさん」がいます。1930年代生まれの、私の親世代の女性で、10年ほど前に亡くなった義理の母の親友です。親族関係はありませんが、「おばさん」と呼んでいます。
おばさんは、女性が手に職をもつことが今よりもずっと珍しかった時代に仕事を続けていた、今で言う「キャリア・ウーマン」、「ワーキング・ウーマン」です。定年後も、ファイナンシャル・プランナーのアドバイスの元で、毎日、株式市場の動向をチェックしながら株取り引きをする、頭の切れる女性です。画像編集ソフト「フォトショップ」を使い始めたのは70歳を過ぎてから。家に遊びに行く度に、壁にかかる写真が新しくなっています。普段の生活や旅先で撮ったデジタル写真をアルバムに編集するのもお手の物です。
先日、そのおばさんと久々に会う機会がありました。近況報告をしたり、環境・時事問題や、新しいテクノロジーの話など、とめどもない会話をしているうち、話題が「老化」の話になりました。その話の中で、新型コロナ感染症が流行りだし、日常生活が一変する前までは、1年に2回は旅行に出かけていたおばさんが、海外へ行くのはもう諦めたというのです。長時間の空の旅はもう体力的にきついだけでなく、時差が大きい国から帰ってきた後、時差ボケが直るまでに時間がかかるようになったこともその理由だといいます。年が年なので、旅先で怪我や病気をしてしまうと、すぐにはカナダに戻ることができなくなるかもしれないことや、場合によっては、そのまま亡くなるかもしれないことも諦めた理由のようです。
さらに、「老化」の話の延長で、どのような「最期」を迎えたいかという話になりました。おばさんは、病気や怪我で手術をして命は助かっても、著しく生活の質が落ちる、または一生介護が必要になる可能性が少しでもあるのなら、そんな手術は受けないつもりです。意識はあっても意思疎通ができなくなった時に備え、自分の意思を代弁する人も決まっています。病気や怪我の症状が重篤化して意識不明になったら、命を永らえるための医療的介入や延命措置は拒否することも決めています。これまで自立した女性として生きてきた人生の最後の最後に、誰かの助けなしでは生きていけなくなるようなら、自分にとって生きている意味がないといいます。もし自分に何かあったら、自分のかわりに何とかしてくれるだろう家族がいないおばさんだからこそ、自分の意思をはっきり誰かに伝えておくことの重要性を理解しているのかもしれません。
そんなおばさんも、ふつうに物忘れが気になっています。昔に比べてど忘れをすることや、何を忘れてしまったかなかなか思い出せず、忘れた頃に思い出すことが増えたことを特に気にしています。また、自分の物忘れが加齢によるものなのか、認知症の兆候なのか、一人暮らしの自分が認知症になり、自分が気づかないうちに認知症が進んでしまうことはないのかも心配しています。私が見る限り、今のところ認知症を疑うような兆候はなさそうだということを伝えると、少し安心していましたが、きっとこれは、高齢者なら誰しも気になっていることでしょう。
おばさんはかなり現実的な考えの人なので、自分はいつ死んでもおかしくない年になっていることを理由に、 生活の一部になっている株取り引きについても、もう長期運用型の投資はしないと決めているようです。かといって、人生を諦めているわけでもなく、若い頃と同じ生活はできなくても、今の自分が満足のいく生活をエンジョイしています。高齢にもかかわらず、自分では特に何の準備もせず、何かあった時は、子供や家族に任せるつもりでいる人が思いのほか多いことに驚くと同時に、用意周到な人もいる。一体のこの違いはどこから生まれるのでしょうか?
私の目標はもちろん、おばさんのような用意周到な高齢者です。
*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。