~グランマのひとりごと~
(「自分の番 いのちのバトン」1から続く)
紀元前3000年前頃、「自分を将来訪ねてくる、全ての人の運勢を占う」と言った「聖人アガスティア」のナディ―リーダーを訪ねてみようと決心した。そして、友人が紹介してくれた南インドのバンガロール空港からタクシーで2時間くらいの所、インド女性のサリーの発祥地だそうだ。そこのアッシュラムを訪ねた。
不思議だった。
ナディリーダーは私の名前も、生年月日も何も聞かない。ただ、指紋を取った。彼の助手がどこからか持ってくる、カラカラに干した、長さ20CM幅6-8CMの葉束、厚さ10センチくらいかな?
それを持ってきてた、そこに書かれた薄い青い文字を読み、質問を繰り返す。
質問が合っていれば「YES」間違っていれば「NO」と答える。最初は持って来くる葉束の質問はほとんどが「NO」だった。3回、4回と運ばれ、5-6回になると「YES」 が増え、最後の一束が私のだった。
ナディリーダーは、貴方の母親の名前は「つや」、父親は「みたる」、夫は「ヘンリー、deseeded」
(父はミタルでなく「満」と言ったら、その位の間違えあると言った)。
彼が突然「you cheated!」と大きな声で言った。私はビックリして「どこで、何時、なんで私が人を騙したの?」と質問すると『前生で』と言う。
『前生』で貴方は4人の弟姉妹だった。そして、「皆を騙して親の全財産を取った、だから、今生では親から何ももらえないよ」と言ったのだ。
驚いた。本当に驚いた。本当に私は今生で4人弟姉妹なのだ。そして、1999年に母が亡くなった。彼女は都心に小さなビルを2つ持ち、かなり広い駐車場、そして、軽井沢に別荘も持っていた。
私達は弟姉妹4人、私だけがカナダ在住で母を手伝わない、親孝行をしていないから、何も貰えないのだ。ただ、母は生前『澄ちゃん、貴方が日本へ帰って来た時ね、泊まるところがないから、私が住んだこのビルの4階をもらいなさい」と言ってくれた。そして、いくらかの現金をくれた。
しかし、その4階すら、弟は鍵を取り替え、私が入れないようにした。だから、情けない私は彼らを恨んでいたかもしれない。
ただ、私に関係なくカナダから日本へ訪ねて行く、私の子供達には、皆がやさしくしてくれた。私の3人の子ども達は日本の伯母、叔父や叔母たちが大好きだ。
そのナディ―リーダーが、更に私は不動産で利益を得て、お金に不自由しないが「A lot lot lot of expenditure]と言った。インド訛りの英語で、私には聞き取れない。何度も聞き返すと大声でデスクをバーンと叩き「SHUPPI」と言った。彼は日本語で「出費」と言ったのだ。
そして、「your life is 82-83 on Indian Calendar」続けて、「Oh, you have no next life」。さらに「You will write something when you are in the late 70’s」。
それから、10数年後、ある日突然、バンクーバー新報社の津田佐江子さんが「貴方エッセイを書いてみないかい?」と声をかけてくださり、バンクーバー新報に「老婆のひとりごと」を書き始めていた。
ふっと気が付けば、もう70歳後半だった。そして、2020年からは「グランマのひとりごと」を今も楽しみながら書せてもらっているではないか!
ナディリーダーの言ったことをふっと思い出す。あの時、別れに彼はニッコリ笑ってくれた。
私はUS150ドル支払った。今、私は82歳半、西暦だ。何歳でもいい。
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いま ここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが わたしの
いのちです
みつを
許 澄子