~グランマのひとりごと~
許 澄子
リリリリン!電話のベルだ。慌てて隣の部屋へ行った。
「ああー、間に合ったぁ。」隣室にある電話が鳴ると台所から走って電話迄行くのだ。たいてい電話は間に合ってくれず切れている。
今日は間に合った。
「私、友子です。」と電話の声が言った。彼女とはめったに会わないが、兎に角40年来の友人だ。つまり、めったに会わない友人からの珍しい電話がかかって来た。「ねぇ、澄子さん、桐島洋子さんのこと知っている?彼女アルツハイマー系認知症なんですってね。」ヤッホーメールに出ていたわよ。
その数日前、横浜の山下公園近くのマンションに住む、洋子先生と電話で互いの顔を見ながら話した。「バンクーバーへ遊びにまた行きたい」と言っていた。そして、「綺麗にしているね。」と褒められた。
実は最近、数年ぶりに髪の毛を美容師さんに切って貰い、グランマはたまたまさっぱりした頭だった。でも、洋子先生の髪はぼうぼうだった。けれど、彼女は笑顔だった。
2020年のお正月、桐島洋子先生はグランマの家に数日泊まっていた。その彼女とグランマは1987年、彼女「50歳、親子の卒業世界一周旅行」の旅の最後の訪問地、このバンクーバーで会って以来の友人だ。
そして、楽しい事、嬉しい事、どのくらい一緒に体験してきただろうか?
一緒に行った所は、ベトナム(サイゴン)、ラオス、北京、フロリダ、セドナ、九州一周、沖縄、東北大震災のチャリティーの旅、四国、広島、山口、新潟、金沢、京都、大阪、神戸、カナダのあちこち、アメリカのセドナ、フロリダ、サンフランシスコ等、などもう数えきれない。
あの2020年のお正月、朝食食べながら「ねえ、この人だれだか知っている?」と手帳に書かれたある人の名前を見せた。グランマの良く知っている人で、洋子先生も良くご存じのはずの人だった。「〇○さんよ」というと、「今日、お昼其の人食事をする」ことになっているのだと言う。その人とは少なくとも4-5年来のお付き合いであることは、グランマは知っていた。そこで、「アレー、洋子先生、忘れたのこの人?」と聞くと「忘れた」と言った。
グランマは洋子先生とこの30数年、回数を数えきれないほど一緒に旅行はして居る。だから、時々、彼女が部屋を間違えかけた事は何回かある。
でもそれが認知症につながっているとは思わなかった。
今、毎日終活で、山のようにあるファイルの整理をしている。そして、洋子先生のファイルは2冊、それに彼女の下さった書籍も沢山ある。先日、ふっと開けた封筒から一通の手紙が出てきた。それは、2000年1月にグランマのハズバンドが他界した時、洋子先生が日本から送って下さった、優しいお悔やみ状だった。
よく旅をする洋子先生は旅先から絵ハガキや手紙を繁々下さった。皆ファイルに入れてとってあり、それはグランマの大切な宝なのだ。
毎日、83歳、一所懸命生きていると新報のエッセイ「グランマのひとりごと」に書きたい事が山ほどある。
そして今、グランマが洋子先生と友人だと知っている人から「アルツハイマー系認知症」だと書かれた添付記事が送られてくる。皆、洋子先生の影響をなんらか受けてアメリカやカナダへ来た人の多さを実感する。
また、時々彼女との懐かしい思い出をエッセイに書いてみたいなぁ。