エドサトウ
入院して1カ月半、体重は10㎏痩せて62㎏になってスマートになり、いくぶんいいスタイルになったが、反面、筋肉が衰えてくると、脳も筋肉と同じような性質なのか脳も小さくなることがあるらしい。これがいわゆる老化現象なのであろうか?帰宅後は、ウオーカーを使用しながら、近所の公園を朝夕二回、1時間ぐらい歩いて、足の筋力の回復につとめていることにより少しずつ、元の生活に戻りつつある今日この頃である。また、元気になれば、好きな旅行などをしてみたいものである。
はるか海の向こうのウクライナでは戦争があって、多くの人命がモダンな文明の火力兵器により、いとも簡単に破壊されていく一方で、この先がどれほどの人生かも分からない老いたる小生を大切に扱うカナダの社会をありがたく幸せに思うものである。ウクライナの人々とロシアの兵隊さんにも平和が訪れることを祈りたいものである。
余談であるが、6月も終わりに近く、すっかり夏日となった早朝にメールを開ければ、延び延びとなっていた映画新『将軍』の撮影通知のメールがいきなり届き少々ビックリであったが、映画会社のリムジンが8時半に運転手の笑顔ともに一緒に迎えに来てくれた。
夏の緑多きバンクーバーの街を通りぬけて、郊外のマンモススタジオの役者専用のトレイラーハウスの個室に落ち着くと、僕の専属のADさんが来て、今日の段取りを知らせてくれる。さらに、日本人のスタッフのナツさん(仮名)が、少し足の不自由な僕に付き添い、一日サポートをしてくださった。
映画の撮影は、ほぼ最終段階で午前中は、主人公とその脇役の最後の撮影中だと付き添いのナツさんが話をしてくれた。そのためか僕の撮影は昼過ぎとなる。しかし、待っている間にぼくはメークアップ、それから、着物の着付けなど、さらには今日のセリフの練習を付き添いのナツさんとするなど僕の方も準備で忙しくある。
ナツさんの話では、今日は最後の打ち上げパーティーのようで、ビッグな昼食が用意されていると言うので、少々驚きであった。スタジオ横の大きなテントの中にありとあらゆる世界中の料理が並べられてあった。
僕の撮影は、順調に進み、その途中に昼食の案内があり、ナツさんと白人の女性のADさんに案内されて、昼食会場のテントへ。多くのスタッフが長い列をなして並んでいるが、役者の僕は最優先で列の一番前に入れてもらう。たぶん役者は撮影時間が控えているためかもしれない。また、足が少し不自由なためなのかもしれないが、嬉しかった。明日は、僕の誕生日なので、自分自身のビックパーティーになったような気がした。左足と手先が少し不自由なので、ナツさんのサポートは助かった。
僕の選んだメニューはメキシカン風の小さなタコスに乗せられたサラダ2個ずつで4個、フレッシュな野菜サラダ、焼き鳥2本、巻きずし4個、握り寿司2かん、それに中国のシュウマイ、生のオイスターなどをいただいた。デザートも幾種類もあったが、ナツさんが再度デザートテーブルに行き、僕の分まで運んでいただき、楽しい最後の映画撮影日となった。
遠い過去の日、僕は東南アジアの親善交流団の一員となり、出発前夜に首相官邸での立食パーティーに参加したことを思い起こす。当時の佐藤栄作総理の挨拶と乾杯音頭、初めての立食パーティーのあの華やかな思い出が脳裏によみがえる。
撮影は、台詞のチェンジ、演出の変化などがあったが、順調に進み、撮影の合間に総合プロデューサーのSさんが僕の所に来て、「良かったです。いい撮影ができました。まだ、撮影はあるけれど、あとは気楽にやってください」と話しかけられたのは、望外の喜びであった。
映画新『将軍』の大成功を祈るのみである。
さて、この夏には2年ぶりのパウエル祭で、ぼくが所属しているザダイコングループも『ネズミ経』というコメディを上演します。是非、見に来てください!
(以上です)