第131回「チェコ」と「スロバキア」

~グランマのひとりごと~

 許 澄子

 オーストリアのヴィヤナ(ウイーン)でチェコ大使館へヴィザ申請に行ったら、日本国籍者には発行しないという。
 「そんなことってぇ!」日本から来た友人達はちゃんと日本のチェコ大使館でヴィザを発行してもらっています。
 でもね、本当にこれ、本当にあった事です。
 「ウイ―ンとプラハに観光に行くから一緒に行かない?」と日本の友人に誘われ、当時まだ若かった私は「行く、行くよ」と元気にバンクーバーからウイ―ンへ飛び立った。
 そして、ウイーンの街、郊外もしっかり観光客らしく観て歩きまわり、その数日後、友人3人はプラハへ行き、チェコ入国ヴィザのない私はヴィザなしで入国可能だという「スロバキア」の首都「プラチスラバ」へ一人乗合いバスで行った。
 私が「スロバキア」に行き決断理由は、カナダで「チェコスロバキア」という一国が「戦い無く」、それぞれ平和に2国に分かれ、独立したことをニュースで知っていたからだ。つまり1989年の「ビロード革命」に始まって2国間が話し合いで1993年独立。そのチェコに、今回私は行けないが「スロバキア」は見ておきたかった。それは独立後間もない1994年の春頃だった。

 ウイーンから「プラスチラヴァ」までバスで1時間ほど、到着するとそのバスの終点駅には何があるわけでもない。
 ただ、大勢の人が手持ち看板をもって、バスから下車する人に声をかけています。要するに「B&B」の呼び込みでした。
 私の所に一人お爺さんが、小さな写真アルバムをもって近付き、写真を見せ始めました。言葉が通じません。
 でも、言っている事はなんだか分かるのです。写真には日本人が写っていました。結局、かなり高齢の、そのお爺さんの「B&B」へ私は行き、家ではやはり高齢のお婆さんが待っていました。その家は本当に貧しげでした。2人とも優しくて、何一つするのにも、一生懸命で、愛が込持っているのが分かりました。
 ただ、彼らの貧しさ、紅茶と砂糖とミルクだけでも、その量の少なさ、無いところからやっと手に入れて、私の為に出して下さっているのが感じられたのです。
 街には観光バスがあるわけではなく、タクシーで動き、料金は記憶にありませんが、当時、私でも支払えた金額でした。
 一人、食事に行ったのは殺伐としたホテルのレストランで、兵隊のような人達がゴロゴロ、それは感じ悪く、えばってレストランのあちこちにいました。そして、驚いたのは教会です。建物の半分以上がしっかりとコンクリートでつるつる、カチカチに固められています。
 その建物の半分が、今、人手でコンクリートをはがし始めているのです。つまり以前、共産主義、社会主義国であった時、教会はコンクリートで固められ、今は建物の解体ではなく修復され始まっていたのです。元々あった美しいきらびやかな教会がコンクリートで固められ、それを今度は人の手でそのコンクリートをはがし、元に戻しつつあったのです。

 人が行う、人のための政治、その政治で、人の生活がどのようにでもなるのぅ?そして、今、世界中、彼方此方で起きている戦い。
 ウクライナの戦争、ミャンマーの小数民族ロヒンジャがバングラディッシュへ避難等。これって全て、我々人間が自分で作っている難問題ですよね。一体どうなっていくのだろう、この世界? ぽっつり、グランマのひとりごと。