エドサトウ
雪が降る。無性に本が読みたくなる。読みかけの本を読みだせば新しい発見もある。外は寒くマイナス10度ぐらいで、とても散歩する気にもならない。昨日からの雪は、30センチも積もり、外はホワイトクリスマス。僕はラジオの音楽を聴きながら本を読み進めば、司馬さんの「アラベスク 井筒俊彦氏を悼む」についてのエッセイが出てくる。
「井筒_国際的な一元的な世界ができるには、その中にようようの要素が入ってこなければならない。民族の場合には文化パターンというか、文化パラダイムが成立しているので、それぞれが衝突するのは当たり前で、ーーー(井筒氏は実験学者のように冷静なのである。)ーーー衝突を超えて、初めて本当の国際社会と言うものができるんじゃないか。そこに至る過渡期として、いま非常な危機を経てもいいんじゃないかなとおもうのです。」
それに対し司馬さんは「単に語法としての婉曲さでむしろ危機を経る。危機を経るべく人間はつくられているとおそろしいことを言いきっておられるようでもある。」と表現している。人の言葉の始まりは自分達の仲間の危機管理のシグナルではなかったのではと僕は思うのである。
今、ウクライナの問題を考えるに、このロシアによる戦争は起こるべきして起こったと言えるいかもしれないが、しかし、文明とは自然と周りの国々に影響を与えてゆくものであると司馬さんが言っているのを見れば、今や日本文化は日本文明と言えるかもしれない。明治以後、近くは終戦以後の日本はアジアのモデルになったのではなかろうか?
1970年ごろのシンガポールは、青少年の教育に力を入れて日本的な発展を目指していると言う話を聞いた記憶がある。
日本の戦後の経済成長はドイツと並んで「奇跡」と言われたけれど、それはアジアの経済も押し上げて「貧困」という言葉がアジアで聞かれなくなったをみれば、日本は文明と言っても良いのでないかと思うのである。再び、過去の戦争のような悲惨な体験をアジアで繰り返してはならない。
もう90歳を超えるIさんは青春時代を終戦前後に過ごされている。過日お会いした時に、ウクライナの戦争について、かっての日米の戦争のはじまったころとよく似ていると話されていたのが印象的であった。複雑な世界の中で国連の力をどう回復させるか?サミットは国連でするのが好ましいのかもしれない。