第8回 聖蜜、聖灰、聖水

 カリフォルニアの私が言う「魔法の家」、日本サイセンター全国大会の講演で知った病気を治してくれる「聖蜜」、「聖灰」、「聖水」が出る家に、その講演をしてくれた鮫島氏と出会うことが出来、彼の助けで、その家に行く事になった。

 バンクーバーの家に帰宅し、息子に同行を依頼すると直ぐOKをくれた。仕事の都合で直ぐに出発はできなかった。11月になってやっとサンフランシスコに行き、その日、空港のレンタカーショップに息子と行った。すると、息子には車をレント出来ないという。年齢が20歳以上でないと借りられないのだ。何をやってもボケな私、それを初めて知った。私は仕方がない、彼には横に座って貰い、自分で運転を始めた。どうやら問題はなさそうだ。かなり時間はかかったが、その家に到着した。昼過ぎだった。ドアをノックする。だーれもいない!考えて見れば普通の家の、普通の日は皆仕事をしている時間だ。夕方まで待つことにして、スーパーへ行った。そこにオレンジ色の綺麗な菊の鉢が並んで売っていた。ふっと、私はサイババが、何時も着ているオレンジ色のローブを思い出し、「魔法の家」の入り口にそれを飾りたくなった。そして、夢中で8鉢買った。さっきのだーれもいないその家に花と戻り、入口のコンクリートの通路の両側に鉢を飾った。綺麗だ!
 聴くところ、この家にはサンフランシスコのサイセンターの人達が「バジャン会」を行うために、チャーターバスで時々来るという。

(注:バジャン【bhajan】とは ヒンズー教の献身歌。また、それを歌い行う宗教儀式そのものをも指す。「捧げる」という意味のサンスクリット語に由来します。)

 息子と私は花を飾った後、軽い夕食。そして、「魔法の家」にまた行った。やっとその家族と会えた。明るい、優しいご夫婦と娘さんだった。彼等が噂の聖水、蜜、灰の出る部屋に案内してくれた。帰りに4~5㎝四方の小さなプラスティックの入れ物に夫々3ポットずつ、合計9ポットを紙袋に入れてくれた。息子がそれを持った。ホテルへ戻る途中で、手に持っている紙袋を運転席の方に向けて、息子が「ママ、紙袋の聖水、蜜、灰が熱くなっているよ」と運転中の私に言った。私は直ぐに宇宙にある「波動の法則」を、例えば「以心伝心」等を信じる人間だから、「大丈夫よ。直ぐに温度は下がるから」と言ってそのままにしながら、心中は「うーん、これは本物だ!」早く東京のお母さんに飲ませなければと真剣に思った。
 そして、この家は「魔法の家ではなく『宇宙エネルギーの家』」だと言いなおしていた。

 バンクーバーへ戻り、11月に日本へ行き、母に会った。会って間もなく母は入院した。私の姉妹は、私が変な宗教に凝って、母にこれまた変なものを飲ませるのではないかと心配していた。「オウム真理教」のサリン事件が1995年、町は誰でもこの事件を忘れてはいなかった。だから、せっかく持って行った「聖灰、蜜、水」を母に上げるのも、工夫が必要だった。
 私の到着後まもなくの母の入院だから、どうやって母にあげたらよいか戸惑った。しかし、姉が入院中の母の朝食補助を私に言いつけてくれた。

 朝7時に病室で、彼女の食事の世話をする。ある朝、ナイトテーブルの上に置いてあった私が持参した「聖蜜」小さなポットが空になっていた。
 何とか「聖水」だけでも飲ませたくてチャンスを狙っていた私は、その朝テーブルにそれとなく「聖蜜」を置いておいたのだ。それが空になっていた。
 私は「お母さん、この入れ物、空になっているけどお母さんが飲んだの?」、すると母が「うーん、それはね、私の便秘の飲み薬なの、飲んだわよ」と言った。確かに色が薄ーい、何となくピンクっぽくてその便秘薬と「聖蜜」は入れ物だけでなく、色も似ていた。「ああ、飲んでくれた!」

 そして、その日 11月23日の午後、何故だろう?私は昼寝中、遠くにいる「サイババの姿」を見たのだ。でもふっと「アレーいつもと違うスワミ(サイババ)だなぁ。今日は白いローブを着ていらっしゃる」と思った。サイババは何時もオレンジ色のローブなのに、今日は何故か白を着ている。

 予定に反して母の退院は早く、自宅に戻ることが出来た。私は何となくサイババを知る友人に電話で白のローブの話をしたら、「何時?」「11月23日?」、「その日は彼の誕生日よ、23日でしょう?」「スワミの白いローブは、彼の誕生日だからね。でも今はもう又オレンジ色よ」と教えられた。

 その後、予定よりずっと早く母は退院した。彼女の住まいはエレベーターのないビルの4階だ。そして、退院後4階まで階段の上下は艱難で、そこへ戻れなかった。幸い、彼女の賃貸コンドの1階に約2ケ月仮住いし、3ケ月目にはエレベーターのない4階の住まいに戻っていった。つまり、2ケ月目に毎日の階段の上り下りが出来る身体になったという事だ。結局、彼女は1997年11月入院し12月退院。それから、1998年の約1年間は少々元気になり、一緒に買い物を楽しむこともできた。そして、1999年2月再度入院し、3月2日に他界。サイババの誕生日に「聖蜜」を飲んだ母。それから、約1年自宅で自由に生活できたのだ。
 「ありがとう」サイババ!「聖蜜」下さった後、楽しかった母との時間。

 これって、やっぱり「『セレンディピティ』幸運をつかむ」みたいだなぁ。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/