カルラ11 ~投稿千景~

エドサトウ

 『古事記物語』に次のような話がある。「新羅の人がどっさり渡ってきました。竹内シュクネはその人々を使って方方に田へ取る池などを掘りました。ーーそれから、百済の国の王から、馬一頭と雌一頭に阿知吉師(あちきし)というものをつけて献上し、また刀や大きな鏡なども献じました。天皇は百済の王に向かって、お前のところに賢い人があるならばよこすようにおうせつけになりました。王はそれで、早速、和邇吉師という学者をよこしてまいりました。その時、和邇は十巻の論語という本と千文字という一巻の本を持って来て献上しました。また、いろいろ職工や鍛冶屋のタクソというものや、機織りの二ソというものや、そのほか酒の造ることが上手な仁番(ニホ)というものが一緒に渡ってきました。」

 最初の話に出てきた山葡萄酒を作るサムの遠い先祖になる人は、百済から来たニホという人であったのではと想像するのも楽しい。

 さらに、『日本の名著』の付録の中で井上光貞氏が「ーーーその倭というのは日本列島から渡ったのではなく、朝鮮半島の南部の方にいた倭氏がいたのだと言っておりますね。」と言えば、山本健吉氏が「騎馬民族ですか?」と問う。井上氏は「それがまず、考えられますね。それとは逆に、朝鮮半島の人達が、弥生時代以来に日本列島の中に、どんどん入ってきて、分国を沢山形成した。つまり、母国語があって、その母国語の分国、例えば二つの大きな分国がある。それが、吉備とか、出雲などもそうだというのですね。そのうち北九州の西の方にあった勢力が移りましてーーー」とあるのは興味深い。

 その頃か、南九州の火山が大噴火を起こして、その火山灰が空を覆い、毎日昼間でも薄暗い日々が宮崎の一帯に続くと、大地の草木は枯れて、人や馬が暮らすことは困難となり、カルラの一族もタケの一族も、すべての人は北に向かい移動してゆくのである。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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