「モントリオール・ジャズ・フェス」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第12回

 音楽ファンの皆様、カナダ・ファンの皆様、こんにちは。

 6月も中旬になりますと、オタワは盛夏です。陽光に溢れた午後、青い空に直線にひかれた白い飛行機雲を見上げると、実に爽やかな気分になります。そして、夏の季節は、様々なフェスティバルが随所で開催されます。音楽イベントも盛り沢山です。

 そこで、今回は、モントリオール国際ジャズ・フェスティバルです。歴史と文化を誇るモントリオールの街の力量が全開し、北米のみならず世界から音楽愛好家が押し寄せています。今や、世界最大のジャズ・フェスとしてジャズ愛好家の垂涎の的です。

 まず、ここに至る経緯を簡単に見てみましょう。

ジャズ略史

 ジャズは、20世紀初頭にニューオリンズで生まれた新しい音楽です。そのエッセンスは、欧州の古典音楽や教会音楽、アフリカのリズム、黒人霊歌のブルースの絶妙な融合です。元来、亜熱帯の開放的な土地柄に自由な雰囲気が相まって、英国とフランス等ヨーロッパの伝統・文化、アフリカ由来の奴隷の歴史、アメリカの土着的要素が溶け合います。恐るべき吸収力で多様な要素を取り込み音楽的発展を遂げ、現代の音楽の主流となります。第2次世界大戦を経て、ジャズは世界中に拡がりました。今や、ジャズ的な要素の無い音楽を探すことは出来ない程です。

 夏ともなれば、世界中で、ジャズ・フェスが開催されていますが、その嚆矢はニューポート・ジャズ・フェスです。1954年以来、毎年7月東海岸ロードアイランド州の港街ニューポートで開催されている野外コンサート。「真夏の夜のジャズ」には1958年の公演が活写されています。ジャズは、音楽だけでなく、ファッションもライフスタイルとしても時代の最先端であることを証明しました。カナダが生んだトランペットの雄メイナード・ファーガソンも出演し傑作ライブ盤をリリースしています。

 ジャズの強力な波は欧州にも伝播します。ニューポートから13年後の1967年には、スイスのレマン湖畔の街モントルーでもジャズ・フェスが始まります。湖畔の古城のジャケットで有名なビル・エバンスのライブ盤が象徴的です。渡辺貞夫や村上ポンタら日本人の猛者も出演しています。モントルー自体はレマン湖の東端に位置する人口2万3千人の小さなリゾート・タウンですが、毎年7月にはジャズ・フェスを開催。今や、モントルーと言えば、ジャズ・フェスという程、定着し世界中から一流の演奏家が集い、観客も詰めかけます。

 そして、ジャズの波は遂にカナダにも押し寄せます。モントルーから13年後の1980年、遂に、モントリオールにてジャズ・フェスの誕生です。主催者は、実業家アラン・シマール。1950年モントリオール生まれで、音楽・映画・演劇のプロモーターとして頭角を顕わし始めた俊英30歳。大規模ジャズ・フェス実現のために協賛企業を募り、市当局と折衝して何とか実現に漕ぎ付けました。

創世記〜モントリオール・ジャズ・フェスティバル

 まずは、1980年5月10日の土曜日の夜です。「第1回モントリオール・ジャズ・フェスティバル」のプレ・イベントとして「Living Legend of the Blues」がモントリオール大学スポーツ・センターで開催されました。このセンターは、76年のモントリオール五輪のフェンシング会場にもなった由緒ある場所。ここに、B.B.キング、ジョン・リー・フッカー、マディ・ウォーターズといったブルースの生ける伝説が参集したのです。何故、ジャズ・フェスのプレ・イベントがブルースなのか?と疑問が湧くかもしれません。上述のとおり、ジャズは若い音楽で現在進行形で進化を遂げています。が、ジャズの核心にはブルースがあるのです。ハ長調で言えば、ドレミファソラシドの3番目と7番目の音を半音フラットさせる事で生まれる独特の感覚です。ジャズとブルースは同根です。主催者はその事を熟知していたのです。ジャズ・フェスの前哨戦としてこれに勝る企画は無かったでしょう。

 そして、本番の第1回モントリオール・ジャズ・フェスは、7月2日(水)午後8時から1967年のモントリオール万博の会場だったプレ・ドゥ・ナショナルでのレイ・チャールズ公演で幕を開けました。レイ・チャールズは「わが心のジョージア」や「アンチェイン・マイ・ハート」等のポピュラー音楽でのヒット曲を誇ります。が、同時に、盲目ながらピアノの名手でもあります。巨匠ミルト・ジャクソンとの共演盤「ソウル・ブラザーズ」はジャズ・ファン必聴です。歌って良しピアノも良し、ソウルもポップもジャズも良し。真のマルチ・タレントの巨人が最初のパフォーマーだった事は、モントリオール・ジャズ・フェスのその後の発展を予言するものでした。

 週末の日曜日(7月6日)は、チック・コリアとゲイリー・バートンの二重奏です。ピアノとヴィブラフォンが溶け合い完全に一体化する魔法の響き。現代ジャズの傑作「クリスタル・サイレンス」を生んだ2人の登場は、モントリオール・ジャズ・フェスが第1回にして時代の最先端を紹介する密度の濃い本物のジャズ・フェスだと証明しました。

 最終日7月10日(木)、地元モントリオール出身のピアニストにして作曲家ヴィック・ヴォーゲル率いるビッグ・バンドが、第1回フェスの締め括りとして登場しました。グローバルな知名度はさて置き、ジャズの祖国アメリカからの大物出演者に引けを取らぬ熱演はカナダの誇りです。ヴィックは、モントリオール・ジャズ・フェスの常連となって、ソロからビッグ・バンドまで多彩なフォーマットでほぼ毎年し出演することになります。

 9日間にわたる第1回モントリオール・ジャズ・フェスは大成功のうちに終わり、次回以降、大きく発展していきます。

成長と拡大

 世界を舞台に活躍するジャズ・ミュージシャンは、公演、新作の準備、レコーディング等々とても多忙に日々を過ごしています。即ち、ジャズ・フェス主催者側からすれば、どれだけ素晴らしいアーティストを呼べるかが、ジャズ・フェスの価値を決める訳です。モントリオール・ジャズ・フェスは、出演者の質と量が年々高まって行きます。マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、キース・ジャレット、アート・ブレイキー、パット・メセニー、ウェザー・リポート、アル・ディ・メオラはじめ、オスカー・ピーターソン、ギル・エバンズらカナダ勢も揃って、ジャズの百科全書とも云うべき錚々たる音楽家達です。カナダの歌姫にしてピアノの名手ダイアナ・クラールも常連です。アレサ・フランクリンやアントニオ・カルロス・ジョビンらも出演し、狭義のジャズに捉われない、カナダならではの包摂的なジャズ・フェスを実現しています。勿論、日本勢もです。秋吉敏子、渡辺貞夫、川崎燎、小曽根真、高瀬アキ、上原ひろみ、碓井雅史らが出演しています。

世界最大のジャズ・フェス

 そして、2004年、モントリオール国際ジャズ・フェスティバルは、ギネス公認の世界最大のジャズ・フェスとなりました。毎年、世界30ヵ国から合計3000人ものアーティストが参加します。モントリオール市内20箇所の会場で、大小合わせて650公演が行われます。そのうち450は屋外の特設ステージでの無料コンサートです。記者証を持つジャーナリスト約300人も来訪して取材。世界中に記事が配信されます。聴衆はのべ200万人を超えると見積もられています。

 毎年6月末から7月上旬の11日間、会場が集中するモントリオール市街の中心部は交通規制が行われ歩行者天国となります。ケベック州最大の観光資源にして、ジャズ・フェスを目当てに海外から15万人の観光客が来訪して7千万ドル以上の経済効果があると言われています。歴史の豊かなモントリオールの街の魅力とジャズの求心力の賜物です。

名盤・名演〜ライブ・イン・モントリオール

 既に43年の歴史を持つモントリオール・ジャズ・フェスで録音され世に出た音盤は沢山ありますが、4つの名盤・名演を紹介します。

 まず、帝王マイルス・デイビスです。1983年7月7日の公演の全貌が昨年リリースされたボックス盤「That’s What Happened 1982-1985」で初めて陽の目を見ました。完全に電化され、ファンクとロックが同居する最先端のジャズがここにあります。かつて、クール・ジャズを創始し、モード奏法をも生み出した鬼才は、幾度もその時代の主流スタイルを壊して前進し、次の時代の主流を創って来ました。リズムの洪水の中に未来のジャズが浮かび上がります。

 次に、2004年 7月10日のオスカー・ピーターソンの演奏は圧巻です。1925年12月生まれで、この時は78歳。実は1993年に脳梗塞で倒れピアノ演奏は絶望的と言われましたが、懸命のリハビリで復活を遂げたのでした。後遺症で左手はあまり使えませんが、流麗な右手が繰り出す歌心溢れるブルースは、高速フレーズからバラードまで、胸に沁みます。音楽の女神に愛されたジャズの偉人の勇姿は必見です。YouTubeでどうぞ。

 現代の巨匠パット・メセニーもモントリオール・フェスの常連。1989年は、7月4日にパット・メセニー・グループとして演奏し、その翌日5日は、ジャック・ディジョネット、チャーリー・ヘイデンとのトリオで出演。3人の濃密な演奏は、最高峰の演奏家の間でのみ成立する音楽的コミュニケーションの極致です。ジャズの本質が即興にある事を改めて実感させます。

 そして、上原ひろみ。中米コロンビアが生んだハープの鬼才エドマール・カスタネーダとの二重奏で出演した2017年6月30日の録音。明るく華やいだ色彩の音盤ジャケットが示唆するように、心優しく希望を喚起する響きが全編を覆います。たった2人の演奏と思いきや、活力溢れるリズムと多彩な音色の中に鮮やかなハーモニーと旋律が舞い、ビッグ・バンドに負けない豊かな響きを生み出しています。ジャズとも呼べますが、ひろみ流の現代音楽がここに展開しています。

結語

 今年のモントリオール・ジャズ・フェスは、6月29日(木)から 7月8日(日)までの11日間です。ダイアナ・クラール、ハービー・ハンコックの超有名アーティスト、更にはスナーキー・パピー、ゴーゴー・ペンギン、エズラ・コレクティブ等々の現代ジャズを切り拓いている若手バンドも来訪します。ジャズ色に染まるモントリオールは、音楽の楽園そのものですね。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身