エドサトウ
パウエル祭での座ダイコンの劇の公演が終わりホットした穏やかな夏の朝をむかえる。
最後の日々は、劇の稽古で必死であったのが、嘘のような朝をむかえて、ふっと自分はダイコン役者なれど、黄色い菜の花のような、小さな可愛らしい花を咲かすことも出来るのかと思ったりもする。
しかし、ダイコン役者の意味を調べてみると、歌舞伎の緞帳が降りて、次の舞台が始まる間の寸劇を披露するサーカスのピエロのような役者のことを「ドンチョウ役者」と言ったらしい。それが、後に、訛って「ダイコン役者」となり、つまり、正規の歌舞伎に出れない役者のことをダイコン役者と呼んだようである。
僕たちアマチュアの劇の座だいこんにも新しい方が3人参加されて、大いに頑張ってくれた。それぞれ、昼間は自分の仕事をされていて、夜の稽古に参加という、大変なボランティア活動を頑張っていただき、本当にありがたい思いであった。しかし、劇を無事にやり終えた感激は忘れがたいものがあり、今後も継続して参加していく様子である。
劇の本番の朝、僕は車を遠くに駐車して、パウエル通りの公園横を劇場に向かい幾分不自由な足でトボトボ歩いて劇場に向かって歩いていると、公園では昨日からの大量のごみをバンクーバー市から特別に来ているであろうゴミ収集車に若いボランティアの方々が今日のイベントのためにゴミを積み込んでいるのが見えた。大きなイベントの影でモクモクと働いている人の姿は美しく感じられた。が、歩道ではホームレスらしき貧しい人々を見た。路上での生活を余儀なくされたのは個人的なメンタリティーだけとは言い切れないものもあるが、国からそれなりのペンションはあるはずである。仕事や社会から見放されたものを助けることのできないことが、このあたりのチャイナタウンの問題でもある。僕たちの劇「貧乏神と福の神」のように両者が仲良くなればいいのであるが?
今回、座ダイコンに中学生のかたが音響を手伝ってくれた。聞けば、最近、日本から家族で移住してきたという。温厚で真面目な彼は、長い時間にわたり、僕たちの稽古に付き合っていただき感謝にたえない。話を聞けば、彼はパイロットを目指しているとのこと、彼の人生の成功を祈りたいものである。
僕たちの劇も多くの人達のサポートがあって、一つ完成した劇が出来るのであり、その体験を共に共有できたことは、ぼく自身にとっても貴重な経験である。
色んな困難を乗り越えてゆくことに、自らの成長があることを実感するあつい夏の一日であった。
「君の思い 野辺の花となり 咲けるか」
投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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