エドサトウ
若い頃に日本に帰国したおりに、観光で弟と築地市場にある寿司屋さんで昼食にお寿司を食べたことがあるが、その時に赤いお米、正確には薄いピンク色の寿司飯で出来ているお寿司を初めて食して興味深々となり、お店の人に「この寿司飯はピンク色なのですが、どうしてピンク色なのですか?」と問うと、カウンターで寿司を握っている年配の大将らしい人が「お前、赤米を知らないのか?これは日本の古米を使っているんだ!」と返事が返ってきた。
後で、よくよく調べてみると、赤米というのは、日本のお米の元となるジャポニカ米で、南方のベトナムあたりから縄文時代頃に伝わったお米らしい。今でも、九州の対馬あたりでは、この赤米を生産している農家があるらしい。
この赤米を最近バンクーバーのお店で少しばかり手に入れたので、白米に混ぜて、御飯をたいてみると、なるほどピンク色の御飯が焚けた。小豆を混ぜて炊いた赤飯のようでもあり、少し甘味があり、美味しかった。これが、「縄文時代に伝わった日本のお米の原種なのか」と思えば、何かしら遠い昔の縄文時代と同じものを食しているという感慨深いものがある。
一万四千年ぐらい続いたと言われる縄文時代に、北から日本列島に来た人々、また南から、たぶんアフリカあたりを源流とする人々が、当時、まだ海面が今よりは100メートルは低かった海岸線を伝い、新天地の日本にやって来た人々もいたのであろう。青森県の三内丸山遺跡で見せていただいた遺跡から発掘されたアフリカ原産のひょうたんの種を見ながら想像をたくましくしていた頃を思い出すのである。
縄文時代という一万四千年ぐらい続いたという長い間に、色んな種族の人々が日本で同化して、原日本人のDNAが出来上がり、その縄文人のDNAが韓国南部に多く、さらにそこから少しずつ北の方に広がっているとも言われる。また、アメリカの原住民の人々にも縄文人と同じものが見られるという話しもある。
カルラの話は、このあたりから僕の想像を膨らませたのである。
「ジマ大国」は、僕ふうに読めば九州、四国、裏日本、それに朝鮮半島の南の海岸線に住む人々が交易(物々交換)で島と島を結び付けていた海洋民族の「島大国」ではなかったのではと思うのである。
投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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