9月も下旬に差し掛かり、バンクーバー近郊はだいぶ秋らしい日が増えてきましたね。日本ではいまだに気温の高い日が続いているようですが、この異常気象は果たしてニューノーマルなのか。
実は薬の世界でも、「えー、そんなの困ります!」と思うようなことが日常的に起こっており、それが薬の供給不足の問題です。英語ではより具体的に「manufacturer short」や「manufacturer back order」(以下、バックオーダー)と呼ばれ、薬の製造段階で問題が生じて、薬局がどんなにオーダーしても、薬を入荷することが出来ないのがバックオーダーという現象です。
ここで、薬の流通システムを簡単に説明すると、薬局で販売されている薬は、製薬会社(Manufacturer)→卸売会社(Wholesaler)→薬局(Pharmacy)という流れで入荷されます。しかし、各国の製薬会社が原薬、すなわち有効成分を一からすべて作るとは限りません。
最近では、原薬の製造、特にジェネリック医薬品の原薬製造は、コスト面での効率化を図るために、インドと中国にほぼ一極化し、世界の他の国々はこの原薬を輸入して、薬として販売できる形にします。逆に言うと、原薬の製造過程で問題が発生してしまうと、世界中至る所で薬がないという事態となるわけです。
カナダでは、私が仕事を始めた頃から慢性的なバックオーダーの問題を抱えていましたが、それはジェネリック医薬品の使用率が既に非常に高かったからです。しかし、最近になってその状況は特に悪化、特にコロナ禍における国際的な輸出規制は、カナダのサプライチェーンに大きな影響を与えました。
参考までに、日本では、この10年間でジェネリック薬の使用率は大きく上昇しました。しかし、日本国内の製薬会社の不祥事により、薬の供給不足が顕在化し、原薬不足がそれに追い打ちをかけ、今では大きな社会問題となっています。少し前の話になりますが、とある自治体の薬剤師会長が、卸売会社に強いプレッシャーをかけて薬の調達を求めたという話もありますし、大きなフラストレーションを抱えた医師も多いと聞きます。でも、もっとも一番不安なのは患者さんですよね。
ただ、これは誰かに怒ってどうにかなるレベルの問題ではありません。全ての医療関係者と患者さんの全てが非常に難しい国際問題に直面していることを理解し、その代替策を模索する、すなわちニューノーマルに順応していくのが、私たちの新しい薬との付き合い方であると考えます。では、薬局がどのようにバックオーダーを乗り切っているか、以下に紹介します。
1.バルサルタンの場合
バルサルタンは高血圧や心不全の治療に使用される薬で、血圧を上昇させる一因となるアンジオテンシンIIという物質の受容体に結合することで、その作用をブロックします。2018年、バルサルタンの原薬製造の際に発がん性物質であるニトロソアミン類が混入していたことが判明し、同一工場から原薬を輸入していた製薬会社(カナダでは全社)は軒並み大規模な回収(リコール)を行いました。これによりバルサルタンは長期のバックオーダーとなりましたから、この薬を飲んでいた患者さんは、バルサルタンと同じ作用を持つ別の薬(ロサルタンやテルミサルタンなど語尾に「サルタン」のつく薬)を飲むことになりました。しかし、この薬剤変更のために血圧が不安定になったということはありません。このように、同じ作用機序と薬効を持つ薬がある場合には、その中で変更することが出来ます。
2.アモキシシリンの場合
今年の話になりますが、アモキシシリンという抗菌剤の小児用液剤がバックオーダーとなりました。私の会社では、アメリカからこの薬を輸入して使用していた時期もありましたが、それでも薬の在庫がなくなった時には、原因菌を殺菌する作用が一番近い薬を選び、処方の変更をしました。アモキシシリンはペニシリン系の薬ですが、患者さんにペニシリンアレルギーがある場合には、アモキシシリン以外の薬を使うのが普通です。このように、同じ薬効を持つ薬で代替することは、頻繁にあるのです。
3.Ozempic®(化学名semaglutide)の場合
週1回皮下注射を行うことで、主に膵臓にはたらきかけ、血糖値が高くなるとインスリンの分泌を促すことで血糖値を下げる効果があり、2型糖尿病の治療に用いられます。さらには、胃内容物の排出を大幅に遅延させることで、エネルギー摂取量減少および食欲減退により、体重を減少させる効果もあります。この減量効果を目的にOzempic®を使用する人が世界中で激増し、Ozempic diet(オゼンピックダイエット)という名前のついた社会現象にまでなりました。しかし、このような急激な需要の増加もまた、薬のバックオーダーの原因となります。
製薬会社なんだから、需要を見越して薬を製造して欲しい!と思う方も多いかもしれませんが、それがなかなか簡単にはいきません。オゼンピックが皮下注射を行わなければいけないのに対し、リベルサス®という同成分を用いた飲み薬が登場。また、Ozempic®と同成分で週1回皮下注射するWegovy®は、Ozempic®よりも高用量を投与できる肥満症の治療薬として各国で承認されており、カナダでも近いうちに発売予定です。このような競合製品の登場により、製造量の見通しや、販売量のバランスを取るのが難しいのではないかと考えます。
では、薬局はどのようにOzempic®バックオーダーに対処しているかというと、異なる規格のペンに変更しています。Ozempic®には2mgペン(0.5mgで4週間分)と4mg(1mgで4週間分)のペンがありますが、現在バックオーダーとなっているのは4mgのペンです。4mgのペンを使用していた方には、2mgのペンをお渡しすることで、用量を合わせて頂いています。不思議なことにOzempic®の2mgペンと4mgペンのコストは同額のため、4mgから2mgのペンに変更するとコストが2倍になってしまいますが、少なくとも治療中止という事態は避けられます。
4.ニトログリセリンスプレーの場合
ニトログリセリンは狭心症の発作時に使用するお薬です。狭心症とは、心臓を囲む冠動脈が詰まって狭くなることで十分な酸素や栄養分が届かなくなり、胸に痛みや圧迫感を起こします。この時、血管を広げて胸痛を和らげる薬がニトログリセリンです。多くの患者さんが、舌の下に向けて噴射するスプレー剤を使用していますが、これがバックオーダーとなりました。しかし、幸いなことに、スプレー剤が発売される以前に主流であった舌下錠(sublingual tablet、口腔粘膜から吸収される錠剤)が今でも製造されていましたから、この薬をスプレーの代わりに使用して頂いています。
5.葉酸(Folic acid)の場合
葉酸はビタミンB群の1つで、サプリメントとして1mg錠が、処方せん薬として5mg錠が販売されています。関節リウマチの治療に用いられるメトトレキサートという薬を服用する場合、体内の葉酸レベルが低下するため、これを補うために5mg錠の葉酸が同時に処方されます。しかし、この5mg錠がバックオーダーとなりました。不思議なことに聞こえるかもしれませんが、1mgの錠剤の入荷が途切れることはありませんでした。そこで、葉酸の必要な患者さんは1個の5mg錠を飲む代わりに、5個の1mg錠を飲んで頂くことになりましたが、これが患者さんには非常に不評でした。バックオーダーが続いていた期間、入荷状況の問い合わせが多かったのを覚えています。
これらの実例を見て頂けると分かるように、無差別的に発生する薬のバックオーダーは非常に厄介ですが、いつも何かしらの代替手段が存在します。しかも、完全に供給不足になる前に、薬局には「この薬はもうすぐバックオーダーになりそうです」という旨のお知らせが届きますから、代替薬の候補を多めに発注して、本格的なバックオーダーに備えます。
バックオーダーが始まってから解消までの期間は、数週間のこともあれば、何ヶ月にも及ぶこともあります。この間、薬局はバックオーダーとなっている薬の発注を毎日繰り返します。すると、ある日突然薬が現れ、その後は継続的に納品されて、通常に戻るというパターンを繰り返します。
残念なことに、ワールドワイドな薬のバックオーダーはこれからもしばらく続きそうです。もしも服用中の薬がバックオーダーとなり困った場合には、気兼ねなく薬剤師にお尋ねください。
*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca
佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)
全ての「また お薬の時間ですよ」はこちらからご覧いただけます。前身の「お薬の時間ですよ」はこちらから。