第21回 何もできない私とセレンディピティ(2)

 「何もできない私」でも楽しむことはできる。美術芸術を観て聴いて楽しむ。「なけ無しのお金」でロンドンの「ローヤル オペラ」へ、ニューヨークの「メトロポリタン オペラ」、行けば安いYMCAに泊まり、地下鉄で移動。「サンフランシスコ オペラ」は娘の所に泊まり「ワーグナーのリングサイクル」4本全部見た。無論「バンクーバー オペラ」、VSO「バンクーバー シンフォニー」はシーズンパスを買い夢中になった。頑張るVMO「バンクーバー メトロポリタン オーケーストラ」の若い音楽家を応援したくて必ず行く。絵も彼方此方、ルーブルではモナリザが細い廊下の手の届く所に飾られていた1960年時代から何回行っただろう。カナダへ移民前に勤めていたドイツの航空会社ではトレーニングに毎年ゼーハイムへ行かされる。行けば街中にある無料絵画館を観て回った。無料航空券が週末貰えるので、ヨーロッパをあちこち歩き、観てまわった。自分には出来ない芸術作品だけれど観て聴いて感じて楽しむ自分がいる。それが私の「セレンディピティ」だ。

 そして、ある日私はバンクーバーの「歌声喫茶」広告を見た。昔、日本にも歌声喫茶があり、音痴の私を友人が連れて行ってくれたことがある。そこでは音痴で歌っても平気だった。色々思い出しバンクーバーの歌声喫茶に行ってみたくなった。

 日本での歌声喫茶の体験から半世紀以上たった今、ここバンクーバーの「歌声喫茶」がどんな所か知らず、一人で行くのは気が引けた。全く情報がない。そんなある日、誰かが「歌声喫茶」でピアノは「前田多枝」さんが弾いていると教えてくれた。インドの私の占い師は『あなたの寿命はインドカレンダーで82-83歳です』と言った。もう西暦で私は83歳、寿命を心配しながら、音痴、悪声でも誰かと一緒に歌ってみたい熱烈な思いがあった。

 多枝さんは私を知らない。でも私は彼女に会い、知っていた。それは、ナブコーラスの妹尾翠さん(昨年2023年4月29日に亡くなられた)がある日「北バンクーバーである日本の人達のコンサートに行こう」と小さな教会へ連れて行ってくれたのだ。日本の人達が歌う、それは楽しい素晴らしいコンサートだった。その時、前田多枝さんがピアノを弾いた。コンサートの終了後はポットラックで皆の持ち寄ったスナックがテーブルの上に綺麗に置かれ、その一つに砂糖和菓子があった。コンサートも楽しかったけれど、私の大好きな砂糖和菓子!それが綺麗で美味しくて、美味しくて忘れられなかった。

 当時、バンクーバー新報に私はコラムを書いていた。それでその楽しかったコンサートと砂糖和菓子の事を書いた。暫くして読者の一人からコメントをいただいた。コメントの主は前田多枝さんだった。其れだけではない、あの砂糖和菓子を作ったのはなんとその彼女だった。あのコンサート中、歌い手の為にピアノを弾く彼女の気配りと優しさ、機敏さを私は観客の1人としてずっと見ていた。そして、オーガナイズする人達の人力にも、感動と感謝だったのだ。
 そして、悪声音痴でも、皆と一緒に歌える多枝さんのいる「歌声喫茶」。とうとう私は思い切って2023年2月から「歌声喫茶」に出席させてもらうことにした。

セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。

許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「『セレンディピティ』幸運をつかむ」はこちらから全てご覧いただけます。