小説家・平野啓一郎氏バンクーバー講演「私とは何か?という問い」(前編)

質疑応答で参加者からの質問に答える平野氏。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
質疑応答で参加者からの質問に答える平野氏。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 「ある男」「マチネの終わりに」などの小説で知られる平野啓一郎氏が、“What am I?”「私とは何か?という問い」をテーマにブリティッシュコロンビア大学(UBC)アジアンセンターで3月18日に講演した。

 当日は英語での講演のあと質疑応答の時間があり、著書や作家活動、アイデンティティについてなどの質問があった。講演の後には参加者が平野氏と直接話したり、サインを求めたりできる時間も設けられ、ファンにとっては楽しいひと時となった。

 講演会は、日本ペンクラブ、UBCアジア研究学科、国際交流基金トロント日本文化センターの共催。

平野啓一郎氏インタビュー

 講演の翌日、3月19日にバンクーバー市内で話を聞いた。

 前編ではバンクーバーの印象や講演会について、後編ではロストジェネレーションについてなどを紹介する。

「バンクーバーの印象」

 実は初めて来ました。おととい(3月17日)に来て、きのう、おとといと少し見ただけなのであんまり大したことは言えないですけど、この季節にしては非常に好天に恵まれてと皆さんに珍しいって言われました。グランビルアイランドとか一通り車で観光に連れて行ってもらいまして、緑が美しくて。あと先住民の文化に対するリスペクトが日本では知られてない部分だと思いましたので、非常に興味深かったです。ここが住みやすく日本人がたくさんいるっていうのも、よくわかるなっていう感じの良い雰囲気の街だなと思いました。

「講演テーマ、“What am I?”『私とは何か?という問い』について」

 自分自身が一番、ずっと関心を持って取り組んできたテーマということもありますし、日本文学、現代日本文学の紹介も兼ねての講演をと事前にうかがってましたので(このテーマにしました)。そういう意味で言うと、昨日の講演でも言いましたけど、同世代の作家を網羅的に上手に紹介するというのはなかなか難しいので、どちらかというと世代的なこととか、時代背景的なことを中心に話した方がいいと思っていて。その問題と世代的なことと、自分とは何かっていう問題が非常に強く結びついているので、そこを切り口にして話そうかなと思いました。

「講演会について」

 時間帯が時間帯(平日の午後)だったので、若い人はなかなか来にくかったとは思うんですけど。でもサイン会の時に、いま自分が抱えている悩みとか話されたり、講演に共感してくださったりした部分がありましたので、真剣に熱心に聞いてもらえたことをすごく感激しました。

英語で講演する平野氏。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
英語で講演する平野氏。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 (英語での講演については)原稿がありましたから。あまり英語が上手くないんで(笑)。そういう意味では、やる前は心配ではありましたけど、講演とかはあまり緊張しない方なんですよね。

「自らの発信について」

-講演の中では小説を書く時は読者をイメージしながら書くと話したが、メディア(テレビやSNSなど)で発信する時も同様に相手をイメージして発信しているか?

 小説は読者という存在のこと考えますけど、(メディアに出ている時は)あまり深く考えないですね。ただ自分がどういうことを考えているかとかいうのを伝える機会ではありますし、テーマによっては話したいこととかもありますし、オファーがくれば受けることがあるという感じです。

 (SNSなどの発信は)最初はフォロワーとかも別にそんなに多くなかったですし、ただ言いたいから言ってるっていうだけぐらいのことだったんです。それから、僕自身のなんていうか影響力が大きくなっていって注目されることも増えてきましたけど。

 メディアで書いてるのは、一市民として思うことです。やっぱり政治に関心を持つっていうのは作家である以前に一人の人間として、この世界に生きていると制度的な問題に関して、どうしてもこうあるべきっていう理想像がありますから、その通りに社会がなってないときに、一人の市民としての意見としてそれを語ります。ただ、自分は同時に小説家でもあるので、受け止められ方としては一小説家としての意見として受け止められることも自覚はしています。

「小説を書くということ」

 結局、小説家になるって、小説を書くっていうのは、この世界に完全に満たされていれば小説を書く必要はないと思うんです。やっぱりどこかで自分の存在と社会との間に齟齬(そご)というか矛盾を感じているから小説を書き始めるわけで。それについて文学的に表現しますけど。それではどうしてそういう状況になっているのかとかいうことを考えていくと、どうしても制度的なこととか政治的なことに突き当たらざるを得ないので、うまく書くってことと、政治に関心を持つってことは表裏一体だと思います。

「講演の中でも語ったロストジェネレーションについて」

 (日本での「ロストジェネレーション」とは)世代の呼称です。1970年代生まれぐらい(一般的には1970年から1984年ぐらいに生まれた世代)の人たちのことをロストジェネレーションと呼んでいます。その特徴としては、雇用が不安定とか、貧困率が高いとか、所得が低いとか、非婚率が高いとか、統計的にはっきりと出ています。1990 年代後半から2000年代の初めぐらいまで(就職氷河期で)、非常に就職率が悪く、終身雇用制が一般的な中で就職機会を逃すとなかなかその後に良い職に就くことができなかったんです。

 もちろん中には社会的に成功してる人もいますけど、雇用が非常に不安定ということが社会的なアイデンティティにおいては不安定化してしまってますから、なぜ自分は生きてるのかとか、そういう不安を抱く傾向は強いと思います。

 昨日の(講演の)話でどこまで伝わったか分からないですけど、職業選択と自分のアイデンティティが非常に強く結び付けられていた世代なので、それにもかかわらず就職がうまくいかなかったってことでアイデンティティロス(喪失)に結び付いている。それに、所得も低いので生活水準も低いですから、そうすると前後の世代に比べて十分に満足のいく社会的なポジションもないし、消費もできないという中で、その間に政策的になんの対策も取られなくて。日本自体が90年代半ばからいまに至るまで、失われた30年という言い方もされてますから、その間に何にも政策的に救済もされなかったという意味も含めて「ロスジェネ」と言われてます。

後編に続く。

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)

小説家。1999年大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。
小説「決壊」(2009年芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、「ドーン」(2009年Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、「マチネの終わりに」英訳“At the End of the Matinee”(2017年渡辺淳一文学賞)、「ある男」英訳“A MAN”(2019年読売文学賞)やエッセイなど。また、「三島由紀夫論」(2023年)で小林秀夫賞を受賞した。

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

合わせて読みたい関連記事