待望の「SHOGUN」が2024年2月からディズニープラスで始まった。主演の真田広之さんをはじめ豪華キャストによるテレビシリーズの撮影は、2021年からバンクーバー近郊で行われた。
今回は撮影中にバンクーバーに滞在していた原田徹監督へのインタビューを紹介する。2022年5月、バンクーバー市内で話を聞いた。
***
映画監督、また舞台演出家として活躍してきた原田徹監督。カナダでの「SHOGUN」撮影では、「テクニカル・スーパーバイザー」としてバンクーバーに10カ月あまり滞在することになった。「いろいろなご縁があったおかげです」と振り返る。
日本の風景と近いカナダ西海岸
原田監督が、「SHOGUN」の撮影に参加のためバンクーバー国際空港に着いたのは2021年8月15日。さっそくダウンタウンの水辺に立った。「晴れた空の下、真っ青な海。向こうにノースバンクーバーの山並みが見えてきれいだった」と初印象を語る。
日本でもカナダでも新型コロナウイルス蔓延中。海外で長期滞在になることに不安があった。カナダ滞在ビザの取得も遅れていた。飛行機の予約もできずにいたが、8月13日、ビザが下りた。徹夜で詰めた荷物を持って空港へ。朝一番のPCR検査を受け、バンクーバーへ向かう機内に収まった。
縁のないカナダだと思っていたが、出発前になって、友人や京都の行きつけのレストランからのつながりが、バンクーバーまで続いていることがわかった。「ご縁ですね」。
バンクーバー島のトフィーノの撮影現場に立って見渡すと、浜辺も岩場も日本の風景に近い。波が強いことも似ている。日本を舞台にした撮影にはうってつけだ。
文化の違いを説明した撮影現場
「テクニカル・スーパーバイザー」。原田監督の「SHOGUN」撮影現場での役どころだ。17世紀の日本を舞台にした作品なので、登場人物の様子や動き、家屋や城の美術的な面も、当時の日本のように見せなくてはならない。それを原田監督がチェックし、必要な修正を指示する。
作品の主な出演者は、日本の俳優がバンクーバーに来て演じる。一方、武士・武家の妻・漁村の人々など多くのエキストラは、バンクーバーで日系人を募集した。ところが、正座や、すり足は、生活習慣の違う日系カナダ人にはなかなか難しい。さっそく原田監督の目が光る。なんとか難行苦行に耐えたエキストラに、「長時間よくがんばってくれました」と感謝する。
武士の着物には、刀が落ちないように帯を巻かねばならない。そこで、日本から時代劇衣装の着付けのベテランが呼ばれ、カナダ人衣装部の20数人に講習会。スマートフォンで撮った手順を見ながら、カナダ人らは武士の着付けに取り組んだ。「刀が落ちなくなりました」と原田監督、満足げ。
壺を置けば北米人は花を生ける。「壺には花は生けない」と一声。
畳の上で草鞋を履いたままだと、「はだしで」とまたもや監督の声が飛ぶ。「説明して、やっとはだしになってもらいました」
日系人を含め北米のスタッフと10カ月の長丁場だったが、日本の文化・習慣を説明することで、違いを理解してもらい、そのうち楽しんでもらえるようにもなった。すでに撮影した場面の撮りなおしも出てきた。よりよいものを作ろうというスタッフの気概からだ。
バンクーバーを好きになったもう一つの理由
映画「バンクーバーの朝日」は、原田監督が教える大阪芸術大学で教え子であった石井裕也さんが監督だ。この映画には、他にも原田監督の知り合いや、「SHOGUN」スタッフとのつながりがある。ここにも「縁を感じる」と原田監督は言い、Asahiのロゴが入った帽子や布製バッグを披露する。バンクーバー滞在中の2021年9月、「朝日」のレガシーゲームを見に行った。翌22年3月には、元選手の上西ケイさんの100歳の誕生会に招待され一緒に祝った。「楽しい思い出」と顔をほころばす。
日本に家族が一時帰国したとき、自宅で飼っているペットをバンクーバーに連れてきた。「パン」という名前のチワワで、撮影現場にも連れていくと、スタッフのIDを首にかけてもらえた。パンはかわいがられ、監督とスタッフとの間の潤滑油のようになった。監督自身にとっても、パンの存在は癒しになった。「バンクーバーは、犬を連れて歩いている人が多いことも気に入りました」と、身を乗り出して話す。
違いを楽しんで制作
海外で規模の大きい作品の制作に携わったことについて原田監督は、「チャンスに恵まれた」と言う。そして、日本とカナダの撮影現場では、いろいろな違いがあることを知った。「ハロウィーンやクリスマスの衣装を着けたスタッフとの仕事は愉快でした」。違いをおもしろいと思えるようになった。
「コロナ禍では、感染が心配なうえ、国際間の往来がままならないことは不便でした。でもカナダの日系の方々が参加してくださったことで、作品の制作が可能になりました」と感慨深げに語る原田監督。黒地に白く「将軍 SHOGUN」のロゴがある帽子が似合っていた。
原田徹(はらだ・とおる)
大学在学中、8ミリ映画「午後の幻想曲」がヒロシマ国際アマチュア映画祭に入選。
卒業後、助監督として活動を開始。篠田正浩、深作欣二、五社英雄、勅使河原宏、黒木和雄、工藤栄一ら日本映画を代表する数々の監督につく。
1993~94年、文化庁在外芸術家研究員としてハリウッドに滞在。
1992年、監督デビュー。京都の太秦を拠点に時代劇に携わる。「風車の浜吉」「七衛門の首」「八丁堀捕物ばなし」「必殺仕事人2009」をはじめ多数。
現在、大阪芸術大学客員教授、日本映画監督協会理事。
(取材 高橋文/写真 斉藤光一)
合わせて読みたい関連記事