小説家・平野啓一郎氏バンクーバー講演「私とは何か?という問い」(後編)

インタビューの後、バンクーバー市内で。2024年3月19日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
インタビューの後、バンクーバー市内で。2024年3月19日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

 「ある男」「マチネの終わりに」などの小説で知られる平野啓一郎氏が、“What am I?”「私とは何か?という問い」をテーマにブリティッシュコロンビア大学(UBC)アジアンセンターで3月18日に講演した。

 当日は英語での講演のあと質疑応答の時間があり、著書や作家活動、アイデンティティについてなどの質問があった。講演の後には参加者が平野氏と直接話したり、サインを求めたりできる時間も設けられ、ファンにとっては楽しいひと時となった。

 講演会は、日本ペンクラブ、UBCアジア研究学科、国際交流基金トロント日本文化センターの共催。

平野啓一郎氏インタビュー

 講演の翌日、3月19日にバンクーバー市内で話を聞いた。

 前編の「バンクーバーの印象や講演会について」に続いて、後編を紹介する。

小説家・平野啓一郎氏バンクーバー講演「私とは何か?という問い」(前編)

「講演の中でも語ったロストジェネレーションについて」

 (日本での「ロストジェネレーション」とは)世代の呼称です。1970年代生まれぐらい(一般的には1970年から1984年ぐらいに生まれた世代)の人たちのことをロストジェネレーションと呼んでいます。その特徴としては、雇用が不安定とか、貧困率が高いとか、所得が低いとか、非婚率が高いとか、統計的にはっきりと出ています。1990 年代後半から2000年代の初めぐらいまで(就職氷河期で)、非常に就職率が悪く、終身雇用制が一般的な中で就職機会を逃すとなかなかその後に良い職に就くことができなかったんです。

 もちろん中には社会的に成功してる人もいますけど、雇用が非常に不安定ということが社会的なアイデンティティにおいては不安定化してしまってますから、なぜ自分は生きてるのかとか、そういう不安を抱く傾向は強いと思います。

 昨日の(講演の)話でどこまで伝わったか分からないですけど、職業選択と自分のアイデンティティが非常に強く結び付けられていた世代なので、それにもかかわらず就職がうまくいかなかったってことでアイデンティティロス(喪失)に結び付いている。それに、所得も低いので生活水準も低いですから、そうすると前後の世代に比べて十分に満足のいく社会的なポジションもないし、消費もできないという中で、その間に政策的になんの対策も取られなくて。日本自体が90年代半ばからいまに至るまで、失われた30年という言い方もされてますから、その間に何にも政策的に救済もされなかったという意味も含めて「ロスジェネ」と言われてます。

「ロストジェネレーションの小説家としてのアイデンティクライシス」

 世代的な経験として(アイデンティティクライシスは)ありますね。周りが、友人たちが、そうですから。その中に自分は属してるし、その世代の中の人間と目されてきましたし。だから、社会的に成功してもあまりそれを誇ることができないです。不況に陥ってる同世代人がたくさんいますから、成功してもあまり誇らしい気持ちもなれないっていうのはある気がしますね。

「ロストジェネレーションを政治や社会が放置した問題」

 (ロストジェネレーション世代は)ポストもなにもないまま、貧困して、結婚しないまま、年を取っていきますから、その世代が高齢者世代になった時に日本の社会保障制度が破綻するっていうのがいまの社会の一番大きな懸念なんです。そういう風に目されている世代なんです。かなり大きな問題だと思います。

「いま関心があるテーマ」

 テクノロジーの進歩が非常に急速ですから、その中で人間はどうなっていくのかということは興味があります。(急逝した母をAI技術で再生させた青年が主人公の「本心」を2021年に発表)。あとは気候変動とか、世界で戦争していますし、そういう意味では非常に心配してます。

「核について」

 日本は核の傘論みたいな完全にアメリカが自分の国の核政策を肯定するために作り上げたみたいな机上の空論を今でもリアリズムと称して信じてる人たちが多いので、世界の安全地帯を考えればアピールしていくという方向に舵を切るしかないと思います。

 戦略核兵器という大規模なものではなく、戦術核兵器として使われる小型のもの(小型核)があって、ロシアがいまウクライナに使うかもしれないって言われています。あれは広島長崎に落とされたぐらいの規模のもので、半径2、3キロ(メートル)ぐらいの規模です。それは(ロシアの)プーチン(大統領)みたいな人が世界地図を見た時に半径2、3キロって点ぐらいにしか見えないですか?

 そうすると例えばウクライナであれだけめちゃくちゃに空爆して、それぐらいの規模の街を全滅させているような人にとっては歯止めがないと思うんです。それじゃあ実際に(ロシアが)使ったらアメリカが全面的な核戦争を始めるかっていうと、僕はやっぱりそこまで行かないんじゃないかと思うんです。

 だから言われてるほど「核の傘」とか「抑止論」っていうのは現実的じゃなくて。そうなると、特に小型の核を誰かが使い出してしまえば使われ始めるんじゃないかってことで非常に強く懸念しています。

 僕は、林京子さんという長崎で被爆された後に、ずっと創作活動を続けられた作家の方にお目にかかる機会があって。作品も非常に好きで、お話もうかがいましたけど、やっぱり抽象的に核兵器がいいかどうかとか、戦略的に考えるってことではなくて、その経験が一人の人間の人生を一体どれぐらい壊してしまったのかとか、その生き残った人たちはどういう人生を歩んだのかっていうようなことを見ていけば、とてもこれは容認できるような兵器ではないですし、そういう声を、そういう意味での現実主義っていうのが必要だと思います。

「メディアについて」

 メディアってもの自体に非常に関心があるんですよね。特にレジス・ドゥブレ(Regis Debray)という人のメディオロジーという研究分野があって、それに非常に強い影響を受けたんです。なぜある作品は世に多く広まり、ある作品は広まらないかっていうのは、その作品が良いかどうかっていうことだけじゃなくて、具体的にそれを伝えるメディアという実体を持って存在している。それが大学組織というアカデミアの実体を持って世界中に伝わっていくのか、本の出版流通ということを通じて伝わっていくのか。とにかく、そういうメディアの実体があるということを議論してる本なんです。

 そういう流通手段としてのメディアというのと、昨日の(講演で)少しお話ししましたけど、写真とか動画とか、本人がいて、それを媒介して伝える存在としてのメディアと、 2つの意味で非常に関心を持っていて。そういう意味では、それと共に自分の活動もあると思っています。そこに携わる人とか会社がどうかっていうのは、また別次元の話で考えていくべきだと思ってます。

「今後について」

 この秋に短編集を出す予定で、4作ほど収録されます。ほぼ終わっていて、あとはその手直しをして秋の刊行の準備をするっていう感じです。

***

 3月18日の講演内容や平野氏のホームページ、これまでのインタビュー記事などを参考に、トピックを選んで話を聞いた。「ロストジェネレーション世代の作家として」と自身を表現し、「日本文学について、自らの作品とアイデンティティの問題」を語った講演や短いインタビューから読者に伝えられることには限りがあるが、洋の東西を問わずアイデンティティという普遍のテーマについて再考するきっかけとなった。

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)

小説家。1999年大学在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。
小説「決壊」(2009年芸術選奨文部大臣新人賞受賞)、「ドーン」(2009年Bunkamuraドゥマゴ文学賞)、「マチネの終わりに」英訳“At the End of the Matinee”(2017年渡辺淳一文学賞)、「ある男」英訳“A MAN”(2019年読売文学賞)やエッセイなど。また、「三島由紀夫論」(2023年)で小林秀夫賞を受賞した。

当時は平日にもかかわらず多くの人が講演会に。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today
当時は平日にもかかわらず多くの人が講演会に。バンクーバー市UBCアジアンセンター、2024年3月18日。Photo by Koichi Saito/Japan Canada Today

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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