「イアン・マクドゥーガル」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第24回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 6月のオタワは、1年で最高の時期です。暑過ぎず寒過ぎず、陽射しも優しい。初夏の陽光と新鮮な緑と多彩な草花で、街中がナチュラルな公園のようです。ベンチに座る人も、散歩する人も、ジョガー・ランナーも、自転車愛好家も、それぞれの時間を心ゆくまで楽しんでいるようです。こんな最高の季節ですから、心と身体はリラックスし、快適な音楽が欲しくなります。勿論、皆さまのお好みで聴けば良いのです。

 私事ですが、先日、友人を招いて夕食前の食前酒をテラスで楽しんでいた時に、最近の私のお気に入りの音楽を流しました。まだ陽は高く、そよ風が爽やかで、鳥の囀りが何とも言えず心地良い、そんな平和な牧歌的な時間に、ぴったりでした。正に、音楽の楽園が去来したようでした。

 そこで、今回の「音楽の楽園」は、そのお気に入りの音楽を皆さまと共有したいと思います。カナダ最高のトロンボーン奏者にして、作曲家、教育者のイアン・マクドゥーガルです。

イアン・マクドゥーガルって誰?

 率直に言えば、誰もが彼の名を知っている訳ではないでしょう。しかし、音楽ファン、特に管楽器が好きなカナダ人にとっては、ミスター・カナディアン・トロンボーンとも言うべき音楽家です。その確かな技量で、ジャズからクラシックまで縦横無尽に活躍。教鞭も取っています。1983年には、ジャズ・ビッグ・バンド部門でグラミー賞を受賞。ジュノー賞には何度もノミネートされ、4度の受賞歴を誇ります。サイドマン、共演を含めて膨大な録音を残しています。

 勿論、音楽は肩書きや能書や蘊蓄で聴くものではありません。真実は、その逆で、音楽が素晴らしいから、その音楽家に肩書きが付与され、蘊蓄が語られることになるのです。それにしても、音楽を言葉で表現するのは恐ろしく難しいです。が、心に染みる音楽というものは確かにあり、胸の奥の非常に敏感な襞を慰撫するのです。

 因みに、友人を招いた時に掛けたのは「The Very Thought of You―Trombone with String Orchestra」という2012年に制作された音盤です。イアン・マクドゥーガルの代表作の一つ。『君を想いて』や『スマイル』や『ムーン・リバー』等の1940〜50年代を彩る14曲の美しいバラードを収録しています。ここには、特別に革新的な試みがある訳ではありません。1950年代のジャズの一大変革期に、チャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンらが始めた、ジャズ四重奏団と弦楽団が織りなす「ウィズ・ストリング」の系譜です。無駄な音や無理な音は一切ありません。全てがあるべき所に収まっています。それが自然で心地良いのです。原曲の旋律の妙を100%引き出す熟練のアレンジが心地良いのです。そして、何と言っても、マクドゥーガルが奏でる歌心溢れる優しくふくよかなトロンボーンの音色が格別です。

 それでは、この境地に達するまでのマクドゥーガルの旅路を見てみましょう。

神童を生んだ、父の一言

 イアン・マクドゥーガル(Ian McDougall)は、1938年6月、アルバータ州カルガリーに誕生します。生後間も無く、ブリティッシュ・コロンビア州の州都ヴィクトリアに引っ越し、そこで幼少期を過ごします。

 11歳の時に、イアン少年は、地元の楽団「ヴィクトリア・ボーイズ・バンド」に参加します。当初は、バンドのリズムを支配するドラムが志望でした。一応は希望どおり、打楽器の担当になりました。が、バス・ドラム、フロア・ドラム、スネア、タム、ハイハット、トップ・シンバルといったフルセットのドラム奏者ではありませんでした。そこで、イアン少年は、バンドの花形であるトランペットへの配置換えを希望します。しかし、ここで、イアン少年の父親が生涯を決めることになる助言をします。

 「息子よ、よく聞きなさい。管楽器を吹くのなら、トロンボーンにしなさい。何故なら、“腕の立つトロンボーン奏者”は、生涯、職にあぶれることはないのだから。」

 イアン少年は、父の助言を聞き、トロンボーンを選択。そして、トロンボーンこそがイアン・マクドゥーガルの生涯の楽器となり、人生航路を決定づけることになります。

トロンボーンとは?

 さて、イアン少年の父が助言したトロンボーンですが、歴史を紐解くと、全ての金管楽器の祖先である新石器時代のメガフォン型ラッパにまで遡ります。歴史的に最も古いトランペットの原型は、3000年前のエジプト王朝時代の出土品にあった金属製の軍用ラッパだとされています。その後、ギリシア・ローマで直接的にトランペットの祖先と言える楽器が現れます。そして、北欧からは、カップ型のマウスピースと管がS字型に曲がったトロンボーンの先駆的な楽器も出土しています。やがて、これらのトランペット・トロンボーンの原型が発展し、管を適切にスライドさせることで異なった音階を表現出来る楽器として発展。

 そして、16世紀初頭、ドイツのハンス・ノルシェルが現在の形に完成させました。以来、500年余の間、基本構造は変わっていません。音域が成人男性の声域に近く、音程はスライドでスムーズに調整でき、美しいハーモニーを奏でることができます。それ故に「神の楽器」と呼ばれ、カソリック系の教会音楽に重用されていました。

 トロンボーンが初めて、交響曲に用いられたのは、ベートーヴェンの第5番「運命」の第4楽章です。アルト・テノール・バスの3台のトロンボーンが登場することで、色彩感と力強さが一気に増します。曲全体が「暗から明へ」と進行し、その絶頂を担う楽器です。ベートーヴェン以降、交響楽団の金管パートで重要な役割を担う楽器として発展して来ます。

 そして、20世紀になり、全く新しい音楽、ジャズが誕生すると、トロンボーンは、音楽にとって不可欠な3つの役割を担う楽器として重宝されます。即ち、①ハーモニーとバックグラウンド、②リズムとパーカッション的役割、そして③独奏楽器です。トロンボーンの音色と表現力は、温かく柔らかみのある音色から、極めて鋭角的な音色、時には感情を剥き出しにした咆哮まで、実に多彩です。

 イアン少年の父のことは余り知られていません。マクドゥーガルという姓からみて、スコットランド系の移民とは想像できます。音楽的な素養も、社会の現実も分かっていた知識人だったに違いありません。イアン少年のその後の人生が直裁に証明しています。

ヴィクトリア〜ロンドン

 イアン少年は、トロンボーンを手にすると瞬く間に上達。1950年には、未だ12歳で、AFM(American Federation of Musicians)ヴィクトリア地区のメンバーとなります。要するに音楽家組合に所属する正式な職業音楽家としてのライセンスを得たということです。史上最年少記録でした。

 この後、1950年代を通じて、学校に通いながら、プロとしてヴィクトリア周辺の楽団で演奏活動を続けます。評判が評判を呼び、引く手数多だったといいます。父の助言は的確だったのです。

 そして、1960年、英国の俊英、バンド・リーダー兼作曲家のジョン・ダークワース楽団に参加します。遂に、ヴィクトリアを出て世界を舞台にするのです。22歳のイアン青年は、ロンドンを拠点として、世界各地の公演旅行に重要メンバーとして同行します。ジョン・ダークワースは、ジャズ音楽家との交流のみならず、映画音楽も手がけ、後年ジミ・ヘンドリックスにも影響を与えるような視野の広い異能の音楽家でした。また、時には、テッド・ヒース楽団にも客演しました。2年間にわたる在籍で実に多くを学びます。

バンクーバー

 1962年、帰郷すると、イアン青年は、バンクーバーを拠点として、フリーランスで活動を開始。音楽の世界の最先端の街ロンドンで養った感性と音楽のヴィジョンとトロンボーンの腕が頼りです。一方でバンクーバー交響楽団のメンバーとしてクラシック音楽を演奏。また、CBCラジオやテレビでは、劇伴から各種ショーのための音楽など何でも演奏します。他方で、バンクーバーのジャズの拠点「ケイブ・サパー・クラブ(Cave Supper Club)」の楽団でも演奏。「ケイブ」には、米国から、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ベネット、シュープリームス、ナット“キング”コールなどスーパースターが来訪。その伴奏を的確に務めました。トロンボーン奏者として油が乗って来ます。一時期は、米国の大御所ウディー・ハーマン楽団でも演奏しました。“腕の立つトロンボーン奏者”は多忙を極めます。が、それだけで満足できないイアン青年です。もっと音楽の奥義を知りたくなるのです。

 バンクーバーには、カナダ最高峰の総合大学、ブリティッシュ・コロンビア大学があります。イアン青年は、超多忙な中、時間を見つけては音楽学部の授業を取り、楽理、作曲、そしてジャズ音楽を専攻。28歳で学士を、32歳で修士の学位を得ます。自身の少年時代からの音楽三昧の経験、2年間のロンドン時代、そしてバンクーバーの充実した日々に学術的な基礎が加わった訳です。音楽家イアン・マクドゥーガルの実力が横溢。作曲活動も本格化させていきます。

 1970年には、フュージョン・バンド「パシフィック・サルト」を結成。時代の最先端を行くジャズとロックがクロスオーバーする高品質の音楽を世に問います。マイルス・デイヴィスらがニューヨーク発でジャズの革命的な響き世界に発信した直後です。バンクーバーの聴衆の耳にはやや新し過ぎたのかもしれません。が、イアンのトロンボーンとドン・クラークのトランペット、オリバー・ギャノンのギターが、ドラム・ベース・ピアノのリズム隊の上で見事に舞います。今、聴いても刺激的です。イアンは、1973年までリーダーを務めます。

トロント〜再びヴィクトリア

 1973年、35歳のイアン・マクドゥーガルは、カナダ最大の都市トロントに拠点を移します。カナダ最高のトロンボーン奏者として縦横無尽の大活躍です。スタジオ・ミュージシャンとして、数々の録音に参加。但し、マクドゥーガルの名前が前面に出る訳ではありません。ある意味、縁の下の力持ちです。が、上質の音楽を真に担っているのです。特に、16人編成のブラスバンド「ボス・ブラス」で大活躍します。公演旅行で世界中を回りました。バンド名の通り、リズムセクション以外は全て管楽器です。つまり、木管楽器サキソフォンはおらず、トロンボーンこそがトランペットと共にバンドの鍵になったのです。そんな多忙充実し興奮と資源に満ちた音楽漬けの日々が13年間続きます。

 そして、1986年、48歳のイアンは、再び故郷のヴィクトリアに戻ります。ブリティッシュ・コロンビア大学とヴィクトリア大学で、教鞭を取り、トロンボーン奏法とジャズ楽理を教えます。

 そして、生涯の楽器トロンボーンを携えてイアン翁の音楽愛、21世紀になっても深化し続けます。

 2005年には、全編デューク・エリントン作品の「イン・ア・センティメンタル・ムード」を発表。デュークの右腕ビリー・ストレイホーン作曲の『A列車で行こう』を含め、ジャズの古典を吹き切るイアンのトロンボーン。スローバラードからアップテンポまで鮮やかです。

 2007年には、収録した全9曲をオリジナ曲で固めた「ノー・パスポート・リクワイアード」を発表。マクドゥーガルの作曲家としての力量を余すことなく伝えています。

結語

 2008年4月10日。イアン翁に、カナダに対する顕著な業績をあげた個人にのみに与えられる栄誉である「カナダ勲章」が授与されました。70歳の誕生日の2ヵ月前のことです。12歳でプロとなって以来、半世紀を超える音楽家としての功績が認められたのです。

 “腕の立つトロンボーン奏者”の音楽の旅路は、次の世代の音楽家の素晴らしき道程です。

 先週6月14日に86歳になったばかりです。誕生日、おめでとう御座います。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身