「関ヶ原3」~投稿千景~

エドサトウ

 司馬遼太郎著『関ヶ原』の中に、細川ガラシャの最後の場面がある。小生が出演した『SHOGUN将軍』でも、最後の方の第9話で三浦按針こと英国人ブラックソンの通訳であったサワイアンナが演じるマリコさんがお城の中で大阪がたの侍たちと長刀で必死の覚悟で戦うが、最後は火薬の大爆発で吹き飛ばされてしまう。爆風で粉々になった部屋の片隅に倒れているマリコさんをブラックソンが必死に起こそうとするが、彼女の体はぐったりとして動くこともない。後に、ブラックソンにマリコは死亡したと老医師は言うが確かなことではない。

 想像を飛躍させれば、マリコは城から戸板に乗せられて城の外に運び出されて、京都の奥深い山寺で治療を受けて暮らしていたが、爆風のショックとその傷の深さから、生死をさまようこと数ヶ月に及んだといわれて生還はしたが、記憶は喪失している。ただ、語学の記憶は残っていて、晩年のキリシタンの反乱島原の乱の時には、それらしき老いた尼僧が信者のために奔走していたという話もある。

 細川ガラシャの最後の様子が小説『関ヶ原』では、次のようにある。<ーーーその焼けあとで数人の者が緩慢な動作で立ち働いている。それらしい指揮をしているのは長い黒衣を着た南蛮人であった。「あの南蛮人はだれかね」と、左近は町屋の娘に聞いた。娘も信者らしく胸もとに十字架をさげていた。この人垣の大半は信者であるらしく、彼らの顔つきからみて、焼け跡を荒らす者を警戒するために人垣を組んでいる様子でもあった。「オルガンチノ様でございます」と娘は小さな声で左近に教えた。伊達者の左近は、刀のつばに金の十字架を象嵌しているから、娘は左近も同信の人とおもったのであろう。「なにをなされておる」「ガラシャさまの遺骨をおさがしなされておりまする」「それはしゅうしょうな」
 左近は感動した。いわばガラシャの自殺は豊臣家にとって反逆行為といっていい。
 その反逆人の遺骨をひろうというのはよほどの危険を覚悟した行動といえるだろう。(勇気のある坊主だ)と思う反面、日本の坊主は何をしているのかと思った。細川家の代々の菩提寺は大阪の郊外の崇禅寺なのである。ゆうべの騒ぎは当然知っているのであろうに、この現場に駆けつけて骨をひろおうということもしない。「えらい南蛮坊主だ」左近は、つい大声を出して、焼け跡をさまよう碧眼紅毛の巨漢をほめてやった。
 余談ながらこの神父オルガンチノは、ガラシャ夫人の遺骨と、それに殉じた二人の家老、数人の家士の骨をかきあつめ、それを壺におさめて崇禅寺へ運び、仏教僧に托した。
 関ヶ原の戦後、細川忠興は大阪に戻るやこの夫人の葬儀を盛大におこなった。
 忠興は、故人の信仰を尊重し、神父オルガンチノにたのんでキリスト教による葬儀をとりおこなわせた。
 その後、忠興はお布施としてこの南蛮僧に黄金二百枚を贈ったところ、南蛮僧はそれを大阪市中の貧民にことごとく分け与えてしまった。「無欲である」と、忠興は感心した。ーーー>とある。

  島原の乱以後、幕府は鎖国政策をとり、家康がえがいた海外貿易は長崎の出島に限定される。海外からの交流がなくなった日本は戦争のない平和な社会がほぼ三百年続き、独自の日本文化を育て、今やその日本文化は、周りの国々にも影響を与える日本文明と言えるのではないかというアメリカの学者の話に、おおいに共感する小生である。平和な共同社会を一万年以上続けた日本の縄文時代もまた、注目されるべきかもしれない?

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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