カナダのメンタルヘルスを考える – 薬物依存と薬局薬剤師の役割

 バンクーバー近郊は夏にしては比較的過ごしやすい気候ですが、アルバータ州のジャスパーで発生した山火事は大変な被害をもたらしました。一時は制御不能だった山火事も、消防士の奮闘によりジャスパーダウンタウンでは沈静化していますが、今後も予断を許しません。

 さて今回は、メンタルヘルスシリーズの第2回として、現在北米で大きな社会問題となっている薬物乱用問題を取り上げます。

 カナダにおける本格的な薬物対策は、1986年に当時のマルルーニー首相が薬物乱用に対する強い危機意識を表明したことから始まりました。それまでにも違法薬物の乱用はすでに大きな社会問題となっていましたが、2016年には薬物過剰摂取(overdose; OD)による死亡件数が大きく増加したため、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州で公衆衛生上の非常事態が宣言されました。2019年にOD死亡者数は一旦減少しましたが、2020年に新型コロナウイルス感染が拡大すると事態は悪化しました。社会全体の先行きが不透明な中、一人で薬物を使用するケースが増え、ODの発見と救急処置が遅れたためとされています。

 代表的な乱用薬物としては、大麻、コカイン、幻覚剤(MDMA)、メタンフェタミン、そしてオピオイドがあります。これらの薬物はすべて中枢神経(つまり脳と脊髄)に働きかけ、多幸感や陶酔感をもたらします。

 オピオイドとは、中枢神経や末梢神経に存在する特異的受容体(オピオイド受容体)に結合し、モルヒネに類似した作用を示す物質の総称です。コデイン、モルヒネ、オキシコドン、ハイドロモルフォン、フェンタニルなどの薬があります。これらのオピオイドは痛み止めとして医療現場で頻繁に使用されますが、モルヒネの100倍の鎮痛効果を持つフェンタニルは、ODによる死亡原因のトップです。フェンタニルは、ストリートドラッグの効果を高めるために混合されることが多く、これを知らずに使用することで中毒死に至るケースが多発しています。

 そこでカナダでは、薬物依存症の治療・回復支援のためにハームリダクション(害の軽減)の考え方に基づいたサポートが行われています。ハームリダクションとは、薬物使用を完全にやめることよりも、薬物使用による健康・社会・経済上の影響を減らすことに焦点を当てた方策です。具体的には、注射器の使い回しによるHIVやB型およびC型肝炎の感染予防、OD死の回避、社会的機能維持、社会的孤立を防止することなどが挙げられます。

モルヒネ徐放剤
モルヒネ徐放剤

 具体的な取り組みの一例として、オピオイド作動薬による維持療法(Opioid Agonist Therapy: OAT)があります。これは、患者さんがストリートで不純物が混入している恐れのある薬物の代わりに、薬局で適切に管理されたオピオイド薬を使用することで感染症のリスクを減らし、最終的には薬物依存から安全に離脱することを目的としています。

メサドン計量器
メサドン計量器

 OATで使用される主要な薬物には、モルヒネ徐放剤(Slow-Release Oral Morphine: SROM)、長時間作用型オピオイドであるメサドン(Methadone)、離脱症状を軽減しながら過剰摂取のリスクも抑えるブプレノルフィンとナロキソンの配合薬、そしてフェンタニルの貼付剤(パッチ)があります。

 これらの薬物を提供し、医師と連携しながら患者をサポートするのが、薬局薬剤師の仕事です。モルヒネ徐放剤やメサドンが処方された場合、患者は毎日薬局に通い、薬剤師の目の前でその日の薬を服用します。これにより服用状況をチェックし、薬局で調剤された麻薬の転売を防ぎます。

フェンタニルパッチ
フェンタニルパッチ

 フェンタニルパッチは週に3回交換する必要があり、これも薬剤師が行い、パッチが剥がれたりしていないかを確認します。このように薬剤師が毎日のように患者の様子を確認し、必要に応じてサポートを提供することで、依存症の克服に向けたチーム医療の一端を担っています。

 また、薬局ではナロキソン・キットの配布も行われています。ナロキソンは、OD時のオピオイドの作用を一時的に停止させ、呼吸の回復を補助する安全な医薬品です。このナロキソンが注射針とシリンジ、手袋など一式揃ったキットになっており、このキットがあればODから命を救うことができます。家族や友人に薬物依存者がいる方は、まずはナロキソン・キットを薬局で入手してください。また薬物依存症治療について分からないことなどがあれば、いつでも薬剤師に相談してください。

ナロキソンキットには3回分のナロキソンが入っている。最初の注射で意識が戻らない場合には、2回目、3回目の注射が必要になることもある。
ナロキソンキットには3回分のナロキソンが入っている。最初の注射で意識が戻らない場合には、2回目、3回目の注射が必要になることもある。

参考記事:日加トゥデイ 2022年2月10日付ローカルニュース BC州の2021年の薬物中毒による死者は2,200人を超える見込み

*薬や薬局に関する質問・疑問等があれば、いつでも編集部にご連絡ください。編集部連絡先: contact@japancanadatoday.ca

佐藤厚(さとう・あつし)
新潟県出身。薬剤師(日本・カナダ)。 2008年よりLondon Drugsで薬局薬剤師。国際渡航医学会の医療職認定を取得し、トラベルクリニック担当。 糖尿病指導士。禁煙指導士。現在、UBCのFlex PharmDプログラムの学生として、学位取得に励む日々を送っている。 趣味はテニスとスキー(腰痛と要相談)

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