「カナダ“乗り鉄”の旅」第15回 王、女王と〝列席〟する駅名は、改名控えたトラブルメーカー由来の駅 カナダ最大都市・トロント編

カナダ・オンタリオ州トロントの中心部を走るトロント交通局(TTC)地下鉄1号線の電車「トロントロケット」(2024年2月21日、大塚圭一郎撮影)
カナダ・オンタリオ州トロントの中心部を走るトロント交通局(TTC)地下鉄1号線の電車「トロントロケット」(2024年2月21日、大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 カナダの地下鉄として最初に開業したのが、最大都市のオンタリオ州トロントの都市圏を走るトロント交通局(TTC)地下鉄1号線だ。VIA鉄道カナダなどが乗り入れる玄関口のユニオン駅を挟んで「U字」状の路線となっており、面白いのはユニオン駅の北東にある隣駅がキング駅、その次はクイーン駅と続くことだ。王、女王の後は東京のJR京浜東北線の駅名にもなっている「王子」なのかと思いきや、そうは問屋が卸さない。隣国アメリカで起きた事件を契機に駅名に由来する人物がトラブルメーカーだったと指弾され、名称変更が時間の問題となっている―。

【トロント地下鉄1号線】アメリカのニューヨークとともに北米の代表的な金融都市となっているカナダ・トロントの都市圏の公共交通機関を運行しているトロント交通局(TTC)の地下鉄の主力路線。カナダで最初の地下鉄として1954年にトロント市内のユニオン―エグリントン間で先行開業し、現在はボーハン・メトロポリタン・センター駅とフィンチ駅の間の38・4キロを結んでいる。
 通勤や通学などに多く使われており、TTCによると1号線の駅の平日利用者数は67万106人(2022年秋の平均)と路線別で最多だった。
 将来は1号線をフィンチ駅からは北のリッチモンドヒル市まで約8キロ延伸し、計5駅を設ける計画。開通後は、沿線地域からの所要時間が最大22分短縮する見通し。
 1号線で現在使っている車両は、「トロントロケット」(本連載第14回NY、ワシントン地下鉄の新潮流の〝先駆車〟はトロントにあり!カナダ最大都市・トロント編 参照)と呼ばれる2011年登場のステンレス製車両。カナダの輸送機器メーカー、ボンバルディアの傘下だった旧ボンバルディア・トランスポーテーション(現在のフランスのアルストム)が製造した。

トロントの金融街に鎮座する「王」と「女王」

TTC地下鉄1号線のキング駅の壁面に大書された駅名(2024年2月21日、大塚圭一郎撮影)
TTC地下鉄1号線のキング駅の壁面に大書された駅名(2024年2月21日、大塚圭一郎撮影)

 ユニオン駅の北東側の隣となるキング駅と、続くクイーン駅はともにトロントの金融街にある。地下鉄1号線はこの区間でヤング通りの地下を走っており、駅名は交差して東西に結ぶ道路がそれぞれキング通り、クイーン通りと名付けられているのに由来する。

TTC地下鉄1号線のクイーン駅の壁面に記された駅名(2024年2月21日、アメリカ東部ニュージャージー州で大塚圭一郎撮影)
TTC地下鉄1号線のクイーン駅の壁面に記された駅名(2024年2月21日、アメリカ東部ニュージャージー州で大塚圭一郎撮影)

 「トロントロケット」と呼ばれる電車に揺られて壁面に「KING」と「QUEEN」の駅名が大書されているのを眺め、否が応でもクイーンの北隣の駅名は「王、女王と並ぶのにふさわしいのはPRINCE(王子)か、PRINCESS(王妃)か」と想像した。

TTC地下鉄1号線の路線図(2024年2月21日、トロント中心部で大塚圭一郎撮影)
TTC地下鉄1号線の路線図(2024年2月21日、トロント中心部で大塚圭一郎撮影)

 そうでなくても、路線図で王と女王とともに〝列席〟するのにふさわしい威厳のある駅名が待ち受けていることを予期してしまう。

駅名の改名要請を可決

 ところが、事実は小説よりも奇なり。クイーン駅の北隣のダンダス駅が由来するイギリスの大物政治家、ヘンリー・ダンダス(1742~1811年)は存命中に誤った判断をしたトラブルメーカーだったと問題視され、トロント市議会の委員会が2023年12月に駅名を変えるように要請することを賛成多数で可決したのだ。賛成が17票、反対が4票の大差となり、改名要請の対象には地下鉄2号線のダンダスウエスト駅も含まれている。

 背景にあるのは、アメリカ中西部ミネソタ州で2020年5月に黒人のジョージ・フロイドさんが白人警察官に首を圧迫されて死亡した事件を契機にした人種差別抗議運動「ブラック・ライブズ・マター」だ。

 黒人を巡る歴史を再検証する動きが高まり、イギリスでの奴隷制度廃止が遅れた原因はダンダスにあると批判して改名を求める嘆願の署名が集まった。このためトロント市が動き、ダンダスに由来する駅前や広場などの関連施設の改名を進めようとしている。

奴隷貿易の即時廃止に異議

 イギリス議会下院で1792年、大西洋を越えた奴隷貿易を即時廃止する法案が提出された。これに異議を唱え、「段階的に」廃止すべきだと迫ったのが当時下院議員だったダンダスだ。

 トロント市がまとめた資料によると、ダンダスは奴隷貿易を「最終的には廃止しなければならない」としながらも、「個人の財産を侵害したり、西インド諸島のわが国の領地を急激に揺るがしたりすることがないように穏やかな手段で廃止しなければならない」と主張した。

 下院はダンダスの要求に沿って奴隷貿易の段階的な廃止を進め、1796年に取りやめることを提案した修正案を採択した。

 ところが、修正案は上院を通過せず、この修正案は廃案となった。

〝黒歴史〟が15年も長引く

 結果として、奴隷貿易を廃止する法律が施行されたのは1807年までずれ込んだ。奴隷貿易という人権を蹂躙(じゅうりん)する〝黒歴史〟は、当初の法案が提出された1792年より15年も長引いた。

 もっとも、下院に当初提出された法案にダンダスが反対することなく通過したとしても、上院も通過したのかどうかは不透明な面が残る。

 だが、法案が提出された1792年から、奴隷貿易を廃止する法律が制定された1807年までの間に50万人を超えるアフリカの黒人が奴隷にされて大西洋を越えて人身売買され、多くのイギリス植民地に送られた。結果として、ダンダスの誤った判断が奴隷貿易の廃止を遅らせる引き金を引いたのは論をまたない。

 トロント市のオリビア・チョウ市長は、市内に付けられたダンダスの名前を変えることに関して「トロント市は黒人差別に立ち向かい、真実、和解、正義を推進してより包括的で公平な都市を築くことに引き続き尽力していく」とコメントした。

トロントの訪問歴なく

 一方、有力者の名前を駅や空港、広場などの公共性の高い施設に付けた事例は枚挙にいとまがなく、決して珍しいことではない。

オンタリオ州のトロント・ピアソン国際空港の旅客ターミナル(2023年9月25日、大塚圭一郎撮影)
オンタリオ州のトロント・ピアソン国際空港の旅客ターミナル(2023年9月25日、大塚圭一郎撮影)

 カナダ最大の利用客数を誇るトロント・ピアソン国際空港は、カナダの第14代首相の故レスター・ピアソン氏から名付けられた。モントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港は第20代と第22代の首相で、ジャスティン・トルドー首相の父親である故ピエール・トルドー氏に由来する。

カナダ東部ケベック州のモントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港(2023年10月4日、大塚圭一郎撮影)
カナダ東部ケベック州のモントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港(2023年10月4日、大塚圭一郎撮影)

 ダンダスの名前がトロントの駅や広場などに付けられたのは、命名時点では功績が評価されてのことだった。カナダは現在もイギリス連邦加盟国の一つであり、イギリスの貴族「メルビル子爵」に初めて叙位された大物政治家の名前をビッグネームだと捉える向きがあった。

 しかし、奴隷貿易の長期化に力を貸した過ちにとどまらず、ダンダスの名前を冠したのがふさわしかったかどうかは疑わしい。シティーニュース・トロントは「ダンダスはトロントに1回も足を踏み入れたことはない」と報じており、そもそも訪問歴がない縁遠い人物に「もともと親しみがわいていなかった」と打ち明ける市民もいる。

 皮肉なのは、政界で大きな影響力を持ったダンダスが「無冠の王」と呼ばれていたことだ。奴隷貿易の廃止を遅らせたトラブルメーカーという面を考慮に入れない場合、「無冠の王」の称号が連なっている地下鉄1号線の駅名のキング(王)、クイーン(女王)と意外と親和性が高いのは偶然の産物だった。

新たな駅名は大学名に

 ダンダスに代わる新たな駅名は、近くにあるオンタリオ州立のトロントメトロポリタン大学(TMU)に由来する「TMU」となる見通しだ。ダンダス駅の名称変更には150万カナダドル(1カナダドル=111円で1億6650万円)がかかると見込まれており、TMUは大学名を付けてもらえればこの費用を負担すると申し出た。

 TMUが多額の費用を負担してまでも駅名に付けてもらいたがっているのは、2021年に改称したばかりの大学名の知名度を向上させたいためだ。大学名を変更したのはダンダス駅を改称する理由と同じく、元の名前が不適切だと判断されたためだ。

 TMUはライアソン工科専門学校として1948年に創立され、その後は規模を広げてライアソン大学に改名した。

 しかし、2021年に「ライアソン」の名前と決別することを決めた。なぜならば名前を取ったエガートン・ライアソンは、カナダ連邦の同化政策の一環として先住民の子どもを親元から引き離し、キリスト教が運営する寄宿学校で生活することを迫った制度の創始者の1人だったからだ。

 19世紀から20世紀にかけて100を超える寄宿学校に計15万人を超える先住民の子どもが収容され、カナダ放送協会(CBC)によると数千人もの子どもが命を落としたとされる。

 2021年に西部ブリティッシュ・コロンビア州の寄宿学校跡地から215人の子どもの遺骨が見つかったことは改めて社会を震撼させ、ライアソン大学は現在の名称に変えることを決めた。

 ダンダスおよびライアソンという大勢の罪のない人たちの尊厳を奪ったり、命を落としたりするきっかけをもたらした〝黒歴史〟に由来する名前を残し、顕彰することはあってはならないという考えに私も同意する。

 TTC地下鉄1号線のダンダス駅と、2号線のダンダスウエスト駅の名称が刷新され、カナダ最大都市の中心部にふさわしい名前が刻まれることで過去の過ちと決別し、明るい未来が切り拓かれることを強く望んでいる。

トロント中心部のキング通りを走る低床式路面電車(2024年2月20日、大塚圭一郎撮影)
トロント中心部のキング通りを走る低床式路面電車(2024年2月20日、大塚圭一郎撮影)

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社デジタルコンテンツ部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年5月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載「鉄道なにコレ!?」と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。