ヤニック・ネゼ=セガン 音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第27回

はじめに

 日加関係を応援頂いている皆さま、音楽ファンの皆さま、こんにちは。

 9月の声を聞くと同時に、オタワに秋がやって来ました。街には緑が溢れているものの、既に紅葉が始まっています。世界中を沸かせたパリのオリンピック、そしてその後のパラリンピックも閉幕しました。いよいよ、芸術の秋の到来を実感します。

 そこで、今回は、カナダが誇る指揮者ヤニック・ゼネ=セガンについて綴ってみたいと思います。

 ヤニックは、世界の楽壇にあって、現在、最高峰の指揮者と言っていいと思います。カリスマ指揮者と崇められたゲルギエフが、ロシアのウクライナ侵略以降もプーチン大統領との親密な関係を保っていたことから、世界の楽壇から事実上追放されたこともあり、今やヤニックは世界中で引っ張りだこです。1975年3月生まれでモントリオール出身の49歳で、既に、膨大な録音を残しています。例えば、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、シューマンの交響曲全集、或いはモーツァルトの主要オペラを筆頭に実に多彩なディスコグラフィーを誇っています。

 しかも、ヤニックは、現在、フィラデルフィア管弦楽団とメトロポリタン歌劇場という世界最高峰の二つの楽団の芸術監督を同時に務めています。実は、同時に最高峰の二つの楽団の音楽監督を務めることは稀有なことです。全盛期のカラヤンがベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場の芸術監督を務めた例があるぐらいです。

 それでは、ヤニック・ネゼ=セガンの素晴らしき世界に参りましょう。

初めてのヤニック@カーネギーホール

 私が初めてヤニックを生で観たのは、前職でニューヨークで勤務していた頃です。2019年10月15日のカーネギーホールで、フィラデルフィア管弦楽団を率いての公演でした。同月末からの日本ツアーを控えてのニューヨーク公演ということで、オーケストラ側から招待頂いたものでした。既に5年も前のことですが、ステージ正面のボックス席で、カーネギーホール館長のクライブ・ギリンソン夫妻らと一緒に鑑賞したことを昨日のように思い出します。と言いますのも、鮮やかな色彩感覚のフィラデルフィア・サウンドの美音の洪水を満喫したからです。

 公演は、まず、米国の若手作曲家ニコ・ミューリーがフィラデルフィア管弦楽団のために書いた現代音楽「Liar」の世界初演で幕を開けました。続いて、エルガーの「チェロ協奏曲」でした。このジャンルの最高傑作の一つ。チェロという楽器にして初めて可能な慈愛に満ちた音色で奏でられるメランコリックの旋律が胸に迫るのですが、チェロを懐深く優しく包み込むオーケストラがこの協奏曲の骨格を見事に支えていました。

 そして、休憩の後のメイン・ディッシュは、ベートーヴェンの交響曲第6番へ長調・作品68「田園」でした。聴力を喪失しつつある中、ベートーヴェン38歳の才能が爆発している作品です。御承知のとおり、本格的な表題音楽を交響曲というフォーマットで実現した歴史を画す傑作です。ヤニックは、フィラデルフィア管を見事に差配し、マンハッタンのど真ん中に1808年ウィーン近郊の田園風景を音で再現したのです。怒涛の拍手が湧き上がりました。

 伝統のオーケストラの持つ力を全開させる純白のシャツの若き指揮者。身体からエネルギーが迸り、その熱量がオケに憑依しているようでした。圧倒的な印象でした。

 実はこの段階で、私はヤニックについて何も知りませんでした。それでも、素晴らしい演奏にただただ圧倒されていました。公演終了後、楽屋を訪れる機会に恵まれ、ヤニックに紹介され、若干の会話をしました。私は、エルガーのチェロ協奏曲も「田園」も大好きでよくCDを聴いているけれど、今夜は、貴方の凄い指揮でこれらの名曲の真髄に触れることが出来て、本当に感動した旨を述べました。ヤニックは、日本公演を本当に楽しみにしていると笑顔で話してくれました。そして、驚いたことが一つあります。ステージ上では大きく見えたヤニックは、実際は小柄な人だったのです。音楽愛とエネルギーが横溢してゾーンに入っている時とオフの時の違いが、巨大な才能を浮き彫りにしていると感じたことを憶えています。

モントリオールの神童〜ジュリーニとの出会い

 ヤニックは、教育学の大学教授と大学講師の両親の下に生まれ、恵まれた環境で育ちます。5歳でピアノを本格的に習い始め、瞬く間に上達。10歳の時には、指揮者になると決意したと、各種インタビューで語っています。興味深いのは、何故、指揮者になりたいと思うに至ったかはよく憶えていないようです。両親が愛聴していたモーツァルトの交響曲第40番に合わせて指揮者の真似をするのが好きだったとも言っています。音楽大好き少年の無垢な思いだったのかもしれません。モントリオール音楽院で学ぶ傍ら、14歳で、モントリオール・ポリフォニー合唱団のリハーサル指揮者を務めます。思いを着々と実現していく訳です。

 何事によらず、勉強はすればするほど、学びたい事や教えを乞いたい師が増えていくものです。ヤニックの学びもそうで、モントリオールを超え、米国ニュージャージー州プリンストンのウェストミンスター・クワイヤー・カレッジでも合唱の指揮を勉強しています。

 運命的な転機は、モントリオール音楽院を卒業した1997年、ヤニックが22歳の時に訪れます。巨匠カルロ・マリア・ジュリーニに1年間にわたって師事する機会を得たのです。

 ジュリーニは、かつて39歳の若さでミラノ・スカラ座の音楽監督に就任し、世界のオーケストラを総なめにしたイタリアの名指揮者です。虚飾を排した歌心溢れる音つくりで、20世紀の指揮者列伝に名が刻まれています。ヤニックが師事した時は、既にジュリーニは83歳。フリーの指揮者として、特定の組織に属せず、世界の一流オーケストラに客演する日々でした。側近として、ジュリーニが如何に準備し、リハーサルに臨み、楽団員を掌握し、自らの音楽を奏でるかを間の当たりにしたことは、何物にも変え難い貴重な経験だったに違いありません。楽曲に対する深い理解と洞察に基づく、他の誰かの真似ではない自分だけの音楽的解釈で、オーケストラを率いる。ジュリーニの下で学んだ事は、指揮者の頂点を目指す若きセガンの原点であり、血となり肉となったのです。各種インタビューでは、最も影響を受けた指揮者としてジュリーニの名を常にあげています。

旅立ち

 2000年、25歳の若さでヤニックは、地元のグラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任します。快進撃の始まりです。

 2003年には、ヤニック色に染め上げたグラン・モントリ・メット管を率いてCDデビューします。演目が、ちょっと意表を突いてます。ニーノ・ロータです。名匠フェデリコ・フェリーニ監督とのコンビで数々の名画・名曲を生んだ現代イタリアが誇る作曲家です。選んだのが「組曲『道』」とハープ及びトロンボーンの2つの協奏です。歌の国、イタリアの面目躍如の旋律に溢れています。師ジュリーニの影響を感じさせます。

 実は、同年、ヤニックはピアニストとしてもCDデビューしているのです。「カンバセーション」と題するCDは、トロンボーンとの二重奏という個性的なフォーマット。冒頭に収録されたガブリエル・フォーレ作曲の「シチリアンヌ」が、チェロやフルートとは違った趣きで胸に迫ります。2つのデビュー盤は、クラシックの世界では、直球ど真ん中の勝負というよりは、変化球で腕試しという感じです。厳しい競争のクラシック市場に、知名度の低い青年が切り込むための、戦略的な動きにも見えます。が、功なり名を遂げた今から振り返れば、ヤニックが固定観念に囚われず優れた音楽を世に問う新しい発想の持ち主である証左とも言えるでしょう。

飛翔

 「指揮は人なり」です。舞台で唯一人観客に背を向け、百人に及ぶ楽団員に対峙して己の音楽をつくるのです。そこには、指揮者の全人格や個性が滲みます。エネルギー溢れる指揮ぶりは、ヤニックの音楽性と生産性を如実に物語っているのです。

 上述のとおり、2003年、28歳で発表した2枚のデビューCD以降、今日に至るまで毎年、複数枚のCDをリリースし続けています。膨大な量です。指揮者とピアニストの二刀流です。そのプログラムは非常に幅広い音楽的地平を網羅しています。マーラーやブルックナーらの交響曲を指揮する一方で、「モーツァルト歌曲集」では18世紀後半のフィルテピアノを演奏するのです。マギル大学で教鞭も取るカナダの代表的ソプラノ、シュジー・ルブランと吹き込んだ隠れた名盤です。天衣無縫のアマデウスが紡いだ珠玉の旋律が古式ゆかしくも全く黴臭くなく、生き生きと今に蘇ります。ヤニックの奔放で明朗なピアノフォルテは、きっとモーツァルトはこんな風に弾いたんだろうなと感じさせます。

 デビュー当初は、活動の舞台もカナダが中心でした。CDもカナダのクラシック音楽専門レーベルATMAからのリリースでした。が、徐々に欧州での公演も増えていきます。

 2005年には、今も音楽関係者の間で語り草になっている、ヤニックの恐るべき実力を示すステージがありました。シドニーのオペラ・ハウスでの公演です。当代の第一人者ロリン・マーゼルが病に伏せってしまい、急遽、その代役として、ヤニックに白羽の矢が立ったのです。演目はブルックナーの交響曲第8番です。その夜、ヤニックは、スコアを見ることなく全て暗譜して指揮したそうです。天才的な記憶力を見せつけました。そう言えば、トスカニーニも急遽代役で指揮。しかも暗譜していました。運命の扉はどこで開くか分からないのですね。

 2006年以降は、サン=サーンス、ドビュッシー、ラベル、ベルリオーズなどフランスの作曲家も積極的に取りあげていきます。2008年からは、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を務めています。

 録音についても、ドイツ・グラムフォン・レーベルと長期契約を締結。多彩な取り組みで、ヤニックの音楽的冒険が進行中です。幾多の名指揮者が残しているベートーヴェンやブラームスの交響曲全集ですが、ヤニック盤の切れの良いリズムと鮮やかな色彩感は特筆に値します。また、ショパン・コンクール優勝のチョ・ソンジンのデビュー盤「モーツァルトピアノ協奏曲第20番ニ短調」では、チョのデリケートなピアニズムに、寄り添いつつ鼓舞し刺激し、哀愁のメロディーの向こうに希望の光を灯すようです。新人を抱擁する貫禄を感じさせます。

巨匠への道と新しき音楽的冒険

 ヤニックは、2012年、シャルル・デュトワの後任として、フィラデルフィア管弦楽団の第8代音楽監督に就任します。1900年に創設された名門で、ストコフスキー、オーマンディ、ムーティ、エッシェンバッハといった錚々たる先人に肩を並べています。

 2018年からは、謂く付きで退任したジェームス・リヴァインの後を継いで、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の第3代音楽監督も務めています。6年契約を更新して、2030年までメットの顔となる訳です。

 今年49歳のヤニックは、クラシック楽壇ではまだまだ若い世代ですし、未だ巨匠というイメージではないかもしれません。しかし、これまでの実績と実力は、紛れもなく巨匠です。

 しかも、ヤニックは、新しき音楽冒険にも積極的です。その好例がフローレンス・プライス作品の録音です。プライスは、1887年アーカンソー州生まれで米国初の黒人女性作曲家と言われています。黒人霊歌を西洋の古典音楽に融合した交響曲は、20世紀の米国独自の音楽的進化を示しています。しかし、ヤニック以前には、非常に限られた音源しかありませんでした。2021年にヤニックが指揮してフィラデルフィア管が録音し、その進化を世界に示したのです。23年には、プライスの「交響曲4番」加えてウィリアム・リーヴァイ・ドーソン作曲の「ニグロ・シンフォニー」を問うています。忘れられていた優れた音楽に光を当てる。現代の音楽界を牽引しているのです。

カナダとヤニック

 才能が横溢し成功したカナダの音楽家には、世界の舞台が待っています。特に、米国で活躍します。ヤニックも例外ではありません。世界最高峰のフィラデルフィアとニューヨークを往復する日々です。しかし、ヤニックは母国カナダの聴衆にもちゃんと世界最高峰の音楽を届けています。ヤニックは、現在も故郷モントリオールのグラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の音楽監督も務めているのですから。

 24年夏には、モントリオールのマウント・ロイヤルの麓で、グラン・モントリ・メット管を率いての無料コンサートを行っています。ビゼー「アルルの女」に加えカナダ人作曲家クロード・シャンパーニュの作品も取り上げました。音楽家に出来る最大の地元コミュニティーへの貢献あるいは恩返しこそ、最高の音楽を届けるフリー・コンサートです。また、2024年4月には、フィラデルフィア管弦楽団のカナダ・ツアーを敢行しています。

 カナダが生んだ、現代の若き巨匠ヤニックが今後のどんな活躍を見せてくれるのか期待が高まります。実は、カナダは若い国ですが、優れた作曲家を輩出しています。しかし、残念ながら、世の中には余り知られていません。今後、ヤニックがカナダ人作曲家の真価を世界に問うて欲しいと思います。

(了)

山野内勘二・在カナダ日本国大使館特命全権大使が届ける、カナダ音楽の連載コラム「音楽の楽園~もう一つのカナダ」は、第1回から以下よりご覧いただけます。

音楽の楽園~もう一つのカナダ

山野内勘二(やまのうち・かんじ)
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身