「いい旅 バンクーバー島 2」~投稿千景~

エドサトウ

 博物館の一角に、ネイティブ(先住民)の人々が、かつて(4000年前)に使っていたという石器が小さく展示されてあった。今から4000年前ということは、縄文時代の晩期である。司馬さんの話に縄文人は北海道から、海岸線をつたいアメリカ大陸に渡ったという話がある。一万年前にアメリカ大陸に人類が来たらしい。一万年前は、まだ海面が低かったから、アジア大陸とアメリカ大陸はベーリング海峡でつながっていたのかもしれない。春の大潮で、海水が遠くまで引いた時には、歩いて渡れたのかもしれない。

 アメリカ西海岸のネイティブの遺伝子を大学の先生が調べたところ、縄文人と同じ遺伝子があるらしいから、縄文人はずいぶんと昔から、カナダの西海岸で生活をしていたように想像できる。東部カナダでは、アメリカに英国からピューリタンが来る前から、北欧のバイキングのグループが船でカナダにたどり着いたという話もある。

 パークスビルに僕が来たのは50年以上も前のことである。僕が結婚する前のことである。当時、同じ会社で働いていた友が、新聞広告で見つけた土地を買いたいと言う。それで、彼が「サトー君、バンクーバー島へ行かへんか?」と言う。話を聞くと、将来、リタイヤ(退職)したら、バンクーバー島にアトリエを作って住み、絵を描きたいという。そのための土地を買うために、現地で不動産屋さんと会うという話である。仕事を二つ持ち、とにかくよく働く人であった。それでお金を蓄えたのか、当時、一万ドルもしない物件を見に行くのである。その一つが、このパークスビルの海岸線に近い宅地用の土地であった。

 もう一つの物件は、そこから、さらに山奥に入った山林のままの土地であった。彼は、こちらの方が広く大きな土地であったので気に入っていたようであった。

 彼が「サトー君、どっちが良いかな?」大阪弁のアクセントで聞いた。僕が「海岸線近くの土地は、もう、下水道や水道が準備されるというから、将来性があると思うけどーーー」と答えた。結局、彼は迷った末にパークスビルの海に近い土地を買った。

 今頃、パークスビルは多くの家や店が立ち並び、大きな町に変貌していた。彼は、その数年後に彼の区画整理のついた土地を買いたい人が現れて売却をして、いいお金を儲けたらしい。

 僕がカナダに来る頃に、父が将来の農地用に購入した山林の土地が、のちに工業団地に指定されて、高く売れたということもあり、当時から、カナダの不動産に興味があり、当時としては、早くに家を買ったほうである。古い我が家は都心に近く、今はビックリするような値段である。あの頃に、もう少し宅地を買っておけば、今頃は百万長者になっていたかもしれない。若い頃は、それなりに大変であったが、いい時代であったと思い返すこの頃である。その友も数年前にがんで亡くなられた。

 翌日、パークスビルのモーテルを朝の6時に出発。今日は天気も良く、海の向こうから美しい朝日が昇り始める中、国道を海岸線に沿って次の街コモックスをめざす。息子に「パークスビルの街の中心から、新しいハイウェイに出れば、早くに着けるから、ハイウェイに出たら?」と言うと、息子は「こちらでいいよ」と言う。まだ新しいハイウェイがなかったころ、なき妻や子供たちとこの旧道を走った記憶があるのか、懐かしそうに息子が「母さんと一緒に来た時、この辺を通ったよなあ」と言う。遠い過去の日が脳裏をかすめ、少々悲しかった。

 美しい海岸線に赤い夏の太陽が昇る中、車は北の街コモックスを目指して、快調に走り続ける。

 途中の海岸線の駐車場には車中泊をしているかと思われる車を多く見かけた。僕たちもキャンプの用意をしてきたが、パークスビルの街の入り口付近にある州立公園のキャンプ場はいっぱいで泊まることできず、心配であったが、幸い街のモーテルに泊まることができて良かった。けれども、この海岸線車中泊も面白そうである。

投稿千景
視点を変えると見え方が変わる。エドサトウさん独特の視点で世界を切り取る連載コラム「投稿千景」。
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