「優しく、楽しくをモットーに」矢野アカデミー30周年を迎えて、矢野修三さんインタビュー(後編)

「優しく、楽しく教えるというのが私のモットーです」と笑う矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
「優しく、楽しく教えるというのが私のモットーです」と笑う矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 矢野アカデミーが2024年9月に開講30周年を迎えた。バンクーバーで日本語を母国語としない大人を対象に日本語を教える先駆者として活躍する矢野アカデミー校長、矢野修三さんに話を聞いた。後編。

「縁」が重なって実現したバンクーバー・矢野アカデミー30周年を迎えて、矢野修三さんインタビュー(前編)

日本語を教えるということは日本文化を教えること

 外国人への日本語教育も変わってきているという。矢野さんが日本で外国人に日本語を教え始めた1988年ごろは、会話だけではなくひらがなを覚えることを基本としていたという。「ひらがなを覚えないことには上級クラスにいけないので、とにかく基本的にはひらがなを覚えてもらう。だから、彼女を口説きたいからちょっと会話だけというのは学校としては歓迎しなかったですね(笑)」。

 しかし、カナダで教える時は違った。「バンクーバーで教えるというのは全然違いましたね。やっぱりコミュニケーションが大事だから、会話から始めます。それで日本語教師としては『いつかひらがなもがんばってよ』と背中を押す感じです」

 そうして30年。バンクーバーで日本語を教え続けてきた。生徒の動機も、「日本企業への就職のため」から「アニメなどの日本文化に興味を持ったから」に変わってきた。

 それでも変わらないのは「言葉と共に文化を教える」こと。日本語と一緒に文化も教えることで、日本語をより理解できるようになる。日本語への関心は減ってないと感じている。

 1995年には日本語教師養成講座も始めた。バンクーバーに住んでいる日本人から「日本語の教え方」を教えてほしいと言われたのがきっかけだ。日本語教師養成講座も含め矢野アカデミー受講生はこれまでに約3000人。卒業生の中にはバンクーバーで日本語を教えている人も多く、日本やアジア、南米の国々で日本語教師として活躍している人もおり、「教師冥利に尽きますね。日本に帰ったときは同窓会にもきてくれますし」。

なぜ日本人は電話で頭を下げるのか...「お辞儀は見える」という矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito
なぜ日本人は電話で頭を下げるのか…「お辞儀は見える」という矢野修三さん。2024年8月20日、バンクーバー市。Photo by Koichi Saito

 そんな卒業生の日本語上級者の中で印象に残っているのは、まさしく日本文化を体得した生徒とのエピソード。

 バンクーバーで日本語教師を始めたばかりの頃。「スリランカ人の生徒だったと思うんですが、英語ももちろん、日本語も上手くなって日系企業に勤めたんです」。その生徒からボーナスをもらったから食事をしたいと連絡が来たという。うれしい再会。会うなり、「生徒の時にはつまらない質問をしてすみませんでした」と言われた。思い出したのは「なぜ日本人は電話で謝るときに頭を下げるんですか?」という質問だった。

 その時は明確な答えなど言えず困ってしまったんです」。でもその生徒は、「いまは日本の人に日本語で電話するときには頭が下がるけど、英語でI‘m sorryと言う時には下がらないんです。どうしてだか自分でも分からないんです」と言い、「だからあんな質問をするほうが間違いでしたね」と続けた。心地よいショックを受けたという矢野さんは「彼は日本語が母語ではないのに、日本語と一緒に文化まで体得したんですね。いやー、うれしくなっちゃって。すっごく印象に残ってますね。説明できないこともあるんだというのを生徒に教えられた感じでね」。

 教室はガスタウンから96年にはメトロタウン(バーナビー市)に、2002年にはバンクーバー・ダウンタウンに移った。現在はオンラインで続けている。

 モットーは?と聞くと「それはもう決まっていて、優しく教えるのが一番大事。でも、その前に楽しくないと。自分が楽しくなければ生徒も楽しくないですよ。優しく、楽しく教えるというのが私のモットーです」と楽しそう。今後は、日本語を再確認するために自分にもとても勉強になるエッセイ(ことばの交差点)を書き続けながら、「のんびりとオンライン講座をやっていければいいかなと思っています」と語った。

(取材 三島直美/写真 斉藤光一)

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