「日本の留学生に『等身大のカナダ』を知ってほしい」通訳者・山之内悦子さんが語る

多文化共生の国が抱える差別と虐待の歴史

山之内悦子さん(撮影:田代陽子さん)
山之内悦子さん(撮影:田代陽子さん)

 カナダは、人口の約4分の1が移民であり、多文化主義・多民族国家として世界的に認知されている。しかし、「人種差別とは無縁」というイメージとは真逆の先住民族迫害の歴史を抱えている。カナダの先住民族は、何千年にもわたり豊かな文化や伝統を築いてきたが、ヨーロッパ人による植民地化は16世紀以降に始まり、特に1867年のカナダ建国以降は急速に進行した。この過程で、先住民族は土地や文化、言語、信仰を奪われ、カナダ政府は先住民族を白人化することを目的とした「同化政策」を1880年代から強化した。この政策の一環として、15万人以上の先住民族の子どもたちが親元から強制的に引き離され、レジデンシャル・スクール(寄宿学校)に送り込まれた。

 先住民族の子どもたちを対象にした寄宿学校は、17世紀のフランス植民地時代から始まっており、19世紀から20世紀にかけて、正式な制度としてカナダ全土に確立・拡大し、130以上の学校が存在した。寄宿学校制度は、カナダ政府とキリスト教会(主にカトリック教会)によって運営され、サスカチュワン州にあった最後の寄宿学校が1996年に閉鎖されるまで続いた。この制度の下、子どもたちは自分たちの文化や言語を話すことを禁じられ、さらに聖職者による日常的な虐待や性的暴行、栄養失調などに苦しみ、約6千人が亡くなったとされている(実際の数字はもっと多いともいわれる)。

 長年にわたり、カナダの先住民族問題に真摯に向き合い、「この問題は過去のものではなく、現代にも根深い影響を及ぼしている」と語るバンクーバー在住の通訳者・山之内悦子さんに話を聞いた。

—通訳者・山之内悦子さんが感じる今も続く先住民族の苦難

 「日本の人たちにもこの問題をもっと知ってほしい」と話す山之内さんは、カナダの先住民族とアイヌ民族との協働や日本からの取材の通訳も積極的に担い、人生をかけてこの問題と向き合っている。

 初回から通訳者として参加している山形国際ドキュメンタリー映画祭での経験を記した著書「あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々」(大月書店)の中でも、カナダの先住民族問題を深く掘り下げている。特に、カナダの過酷な同化政策に耐えて成長した先住民族女性教育者の人生を追ったドキュメンタリー映画「学びの道」(ロレッタ・トッド監督)との出合いは大きかったと振り返る。先住民族としてカナダで生まれ育ったトッド監督と映画祭以降も交流を続けた山之内さんは、先住民族の問題は現代に続く問題だと語る。

 「寄宿学校が廃止されて久しい今でも、その爪痕が深く先住民族社会に残っています。家族から学んできた言葉や世界観をまるごと否定され、体罰や、ひどい場合には性的虐待まで受けた結果、自尊心を失ってしまう。そんな人生の痛みをいっとき忘れるために麻薬やアルコールに頼るようになり、仕事も子育ても放棄せざるを得なかった人たちの多い世代があります。バンクーバーのホームレス人口の多さは、日本から訪れる人々を驚かせます。先住民族は、カナダの総人口のわずか5%にしか過ぎないのに、ホームレスである比率が飛び抜けて高い。この現象のみを目にして、その根深い歴史的背景を理解しないままカナダを後にする留学生や観光客のなんと多いことでしょうか。寄宿学校に端を発した暴力や絶望の、世代を超えた連鎖を断ち切るには、並々ならぬ努力が必要だと感じます」

—日本の留学生に知ってほしい「人権大国」ではない「等身大」のカナダ

 通訳の仕事と並行して、バンクーバーの大学やカレッジで翻訳・通訳コースの教員を20年以上続けてきた山之内さんは、日本からの留学生に本当のカナダ史を知ってほしいという。「私が大学4年でカナダに初めて留学した時のカナダについての知識は『赤毛のアン』と、フランス語と英語が公用語だということぐらいでした。現在の留学生はそれほどの無知ではないにしても、『人権大国カナダ』というイメージ以上のことは知らない人が多いのではないか」と感じた山之内さんは、トッド監督の承諾を得て映画「学びの道」を通訳授業の教材として長年使用し、カナダの先住民族の迫害の歴史、現代にまで続く社会問題について生徒たちに熱心に語りかけてきた。

 「日本からの留学生たちに、先住民族がこの国でどんな受難を乗り越えてきたかを学んでもらうことには大きな意味があると思います。ここで学んだことは、帰国後、アイヌ民族や沖縄、被差別部落、在日韓国・朝鮮人の苦難の歴史など、日本社会の少数者へのまなざしにつながるのではないかと思うからです」

 また、カナダの先住民族の問題について学ぶことは、言語的少数者の一員である留学生たちが自身の置かれた立場と折り合いをつける助けにもなるのではないかという。「言葉の習得には、計り知れない時間がかかります。その間、ずっと慣れない環境で、完璧ではない外国語を使い、対等な扱いを受けにくいという暮らしをしていると、無意識のうちに劣等感が芽生えることがあります。そんな事態を避けるためにも、『等身大のカナダ』を知ってほしいのです」と話す。

—先住民族問題から見える「母語」のかけがえのなさ

 日本の留学生たちの多くは、英語を勉強しにカナダに来ている。しかし、山之内さんはこのカナダの先住民族問題を通して留学生たちに「母語」のかけがえのなさを伝え、生徒たちと一緒に考えることを続けてきた。「日本では、日本語が禁止されたり、失われたりする可能性について考える人は少ないと思いますが、カナダの先住民族は、突然母語を使うことを禁止され、自分たちの文化を否定され、アイデンティティを奪われそうになりました。しかし、こうした歴史はカナダだけの問題ではありません。アイヌ民族から文化や言語を奪おうとしたのみならず、沖縄においても、方言を禁止し、標準語を押し付けるために子どもたちは『方言札』(主に小学校において方言を話した児童に与えられた罰則札)をかけさせられたことがありました。英語に苦戦にする留学生が、そうした彼らの思いに触れることで、母語である日本語と自分たちのアイデンティティについて考えることは重要なこと」だと語る。

—旧寄宿学校跡地から215人の子どもの遺骨 9月30日を「真実と和解の日」に

 2021年、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州カムループスにある旧寄宿学校跡地で、215人の先住民族の子どもの遺骨が発見され、カナダを震撼させた。その後も、サスカチュワン州にあった寄宿学校の跡地で墓標のない751基の墓が発見されるなど、各地で多数の遺骨や墓が相次いで見つかっている。

 こうした悲劇的な発見は、先住民族に対する虐待と人権侵害に対する国民的な議論を巻き起こした。抗議する人々により、7月1日のカナダデー(カナダ建国記念日)には、植民地時代を象徴するビクトリア女王の銅像が破壊され、カナダ各地でカトリック教会を狙った襲撃事件などが発生した。BC州の先住民族の村ギトワンガクでは、108年の歴史があるカトリック教会が全焼。また、バンクーバー市ガスタウンでは、植民地主義や12歳の若い先住民族女性との結婚などが非難されていたギャシー・ジャック(バンクーバー発祥の地とされるガスタウンの名称の由来)の像が、先住民族女性への暴力に抗議する参加者によって引き倒された。倒れた銅像は真っ赤に塗られ、長きにわたる先住民族への差別と虐待に対する怒りが噴出した。

 旧寄宿学校跡地での大量の遺骨発見を契機に、カナダ全国で先住民族コミュニティとの真の和解を求める動きが加速し、2021年、カナダ政府は、毎年9月30日を「真実と和解の日」(National Day for Truth and Reconciliation)という法定休日として制定し、先住民族迫害の歴史を忘れず、先住民族に対する理解を深める日としている。この日は、「オレンジシャツ・デー」(※)とも呼ばれ、シンボルのオレンジ色を身に着け、全国各地でイベントが開催されている。

 この日をより意義深いものにするために、山之内さんにはカナダにいる移住者たちに伝えたいことがある。「9月30日だけオレンジ色のシャツを着て終わりではなく、移住者も自分たちがどんな大地の上に立っているのかを常に考える必要があると思います。私たち移住者は、先住民族に対する迫害はヨーロッパからの入植者が行ったことであり、自分たちには関係ないと思っているかもしれません。しかし、私たちはその入植者が築いたカナダのシステムを好んで移住し、その恩恵を受けています。先住民族に起こったこと、そして彼ら一人一人が連鎖する暴力のサバイバーであるということを、カナダにいる全ての人たちが当事者意識を持って理解する日が来ることを願っています」と思いを語った。

※オレンジシャツは寄宿学校の経験者であるPhyllis Webstadさんが6歳のときに寄宿学校に連れて行かれた際、祖母から贈られた大切なオレンジ色のシャツを剥ぎ取られた経験に由来している。このオレンジシャツは、長い年月にわたって先住民族の子どもたちが経験した文化、自由、そして自尊心の剥奪を象徴している。

山之内悦子(やまのうち・えつこ)
慶應大学文学部在学中のカナダ留学が縁でバンクーバーに35年以上暮らすなかブリティッシュコロンビア大学で先住民問題などを中心に教育社会学を学ぶ。
修士課程修了。日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で長年通訳を務めている。

(記事 佐々岡沙樹)

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