日系カナダ人コミュニティのはじまり
日系カナダ人コミュニティの歴史は、1877年に永野万蔵がカナダに到着したことから始まる。
永野をはじめとする日本人移民は、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州のバンクーバー市やリッチモンド市スティーブストンに定住し、漁業や農業、製材業で生計を立てた。特にバンクーバー市では日本からの移民が増加するにつれ、パウエルグラウンド(現オッペンハイマー公園)周辺のパウエルストリートは日本人街(通称「パウエル街」)としてにぎわった。
スティーブストンでは和歌山県の漁師工野儀兵衛が来たのを機に、同郷から漁師を呼び寄せバンクーバーに次ぐ日系人コミュニティが形成された。
アジア系移民への反発、「紳士協定」の締結
1907年9月、アジア系移民に対する反発が頂点に達し、バンクーバーで暴動が起きた。白人カナダ人は最初に中華街を襲撃、その後、隣接する日本人街に押し寄せた。日本人は対抗したが多くの建物や商売が被害を受けた。
その後も日系人をはじめとするアジア系への差別は続く。1908年にはカナダ政府は日本政府と「紳士協定(レミュー協定)」を締結。日本からの移住者は1年に成人男子400人に制限された。しかし女子や子どもの制限はなかった。1923年、28年に改訂され、移住者数は更に制限された。
日本軍の真珠湾攻撃を機に日系カナダ人約22,000人が強制収容
第2次世界大戦がヨーロッパで始まり、1941年12月7日には日本軍がアメリカ・ハワイ州の真珠湾を攻撃した。カナダ政府は同日に日本に宣戦布告。これを機にカナダ政府は日系カナダ人を「安全保障上の脅威」として、BC州西海岸から100マイル(160キロメートル)「制限区域」から排除することを決定した。
日系カナダ人約22,000人は、制限区域以東のBC州内陸部に設置された強制収容地やアルバータ州、マニトバ州の農場へと強制移動させられた。所有していた財産は没収され、本人たちの同意なく売却された。
強制収容地では厳しい環境での生活を強いられた。タシメ、スローカンシティ、レモンクリーク、ポポフ、ベイファーム、ローズベリー、ニューデンバー、サンドン、カスローなどに政府が補助する収容所が、イーストリルエット、ブリッジリバー、グリーンウッドには自活収容地が設置され、住民は狭いバラックや改造された小屋などで生活した。
また18歳から45歳まで健康な男性は、道路建設の労働力としてホープ‐プリンストン、レベルストーク‐シカモス、ブルーリバー‐イエローヘッドなどのロードキャンプへ送られ、過酷な労働を強いられた。
戦後も続いた差別、強制帰国
1945年8月に第2次世界大戦が終結した後も、カナダ政府は日系カナダ人が西海岸に戻ることを許可しなかった。そればかりか、ロッキー山脈以東への移動か、日本への「帰国」という二者択一を迫った。これにより約4,000人が戦後間もない日本へ渡った。多くはカナダ生まれのカナダ人だった。
戦前から続く日系人への差別は戦後もしばらく続いた。
日系コミュニティ100周年祭を機に
1977年、永野万蔵がカナダに到着してから100周年を迎えた。それを記念して、日系カナダ地域社会ボランティア団体「隣組」が中心となり、バンクーバーの旧日本人街オッペンハイマー公園(旧パウエルグラウンド)で日本の祭りをと「パウエル祭」を開催した。現在もパウエル・ストリート・フェスティバルとして毎年8月に同公園で開催されている。
1978年にはバンクーバーに住む日系人のための日本語新聞「バンクーバー新報」が発行された。2020年4月に廃刊されるまで、バンクーバーのコミュニティ新聞として日系カナダ人の歴史や文化を発信する重要なメディアとしての役割を担った。
この時期は、戦後最大規模の日本人移住者がバンクーバー周辺に集まり、コミュニティの再構築と文化再興が進展した時期でもある。こうした動きの中で、日系カナダ人の戦時中の経験に対する社会的な理解が深まり、日系カナダ人の歴史が再評価される機運が高まっていった。
リドレス運動
1942年から始まった強制収容やその後の差別に対する認識が高まり、コミュニティ全体で歴史を見つめ直し、その経験を社会に訴える動きが進んだ。
1970年代に日系カナダ人コミュニティは強制収容に対する賠償と謝罪を求める機運が高まる。リドレス運動は1980年に本格化し、1984年からアート・ミキ氏を会長とする全カナダ日系人協会(NAJC)マルルーニ政権と交渉を開始。
そして1988年、カナダ政府は「補償合意」により日系カナダ人に公式謝罪を行い、強制収容経験者とその家族に賠償金を支払うことを決定。この合意はカナダの歴史における重要な和解の一歩となった。
日系文化センターと記念碑、次世代への歴史継承
現在、カナダ各地に日系カナダ人の歴史を振り返る記念碑や博物館が設置されている。
リドレス合意の基金を活用しBC州バーナビー市に設立された「日系文化センター・博物館(当時:ナショナル日系ヘリテージセンター)」は、日系カナダ人の歴史や文化を保存普及するための中心的な役割を担っている。現在も記念イベントや展示会が行われ、若い世代へとその歴史が語り継がれている。
***
***