スローカンシティ、レモンクリーク、ポポフ、ベイファーム:日系カナダ人物語

 ブリティッシュ・コロンビア(BC)州中央南部のウエストクートニー地区に、8カ所のカナダ政府が補助する強制収容所が設置された。

 そのうちの4カ所、スローカンシティ、レモンクリーク、ポポフ、ベイファームはスローカン湖より南部に位置した。

スローカンシティ

 スローカンシティには約595人が収容された。住居には古いホテルや建物、鉱山労働者の宿舎が利用され、収容者たちは限られた設備の下で生活を送った。

 この地は1946年に日本へ「送還」される日系カナダ人の出発地としても使われ、多くの人々がここから日本に送られた。現在、スローカンシティの日本人墓地記念碑は当時の記憶を伝える遺産となっている。

レモンクリーク

 レモンクリークは、スローカンシティから南に約8キロメートルに位置し、スローカンバレーで最大規模の収容地。1,851人以上の日系カナダ人が収容された。

 収容者たちは鉄道用の枕木を切り出すなどの労働に従事させられた。1942~43年に設置され、1946年に閉鎖された。

ポポフ

 ポポフは、政府がエミリーとコンスタンティン・ポポフ夫妻からリースした農場を利用して設置された収容地。スローカンシティとレモンクリークの間、真ん中あたりに位置する。

 最も遅くに設置された収容所で、1943年に完成。約1,000人収容された。1946年に閉鎖された。

ベイファーム

 ベイファームには、スローカンシティの南に位置し、1942年末までに1,376人の日系カナダ人が収容された。

 最初は仮設のテントで暮らし、その後バラック小屋が建設された。冬の冷え込みが極めて厳しく、収容者たちは日々の寒さと戦った。

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