「カナダ“乗り鉄”の旅」第22回 トルドー首相表明の高速鉄道計画「アルト」、実現の鍵を握るのは傲岸不遜な隣国大統領!?

東海道・山陽新幹線の「のぞみ」などに使われているN700S(東京都大田区で大塚圭一郎撮影)
東海道・山陽新幹線の「のぞみ」などに使われているN700S(東京都大田区で大塚圭一郎撮影)

大塚圭一郎

 カナダのジャスティン・トルドー首相が2025年2月19日、約千キロ離れた国内最大都市のオンタリオ州トロントと東部ケベック州ケベックシティーを最高時速300キロで結ぶ高速鉄道計画「アルト」を発表した。投資額が最大1200億カナダドル(1カナダドル=105円で12兆6千億円)になるとの試算もある「カナダ史上最大のインフラプロジェクト」が成就するのかどうかは視界不良だ。しかし、実現するかどうかの鍵を握る影の主役は「カナダがアメリカの51番目の州になるのを見たい」と放言し、カナダからの輸入品に25%の関税を掛けて揺さぶる傲岸不遜な隣国の大統領かもしれない。

【アルト】カナダ東部のトロントとケベックシティーの間に電化した専用軌道を設け、時速300キロの高速列車を走らせる計画。ローマ字表記は「ALTO」。途中駅としてオンタリオ州ピーターボロー、首都オタワ、ケベック州モントリオール、ラバル、トワ・リビエールを設ける。国営企業アルトが担当し、コンソーシアム(共同企業体)「ケイデンス」が設計や建設、運用、保守など経験やノウハウを提供する。ケイデンスには6社が参加しており、カナダの航空最大手エア・カナダ、公共事業受注企業CPDQインフラ、エンジニアリング企業のアトキンスレアリス、フランスの公共交通機関運行受託企業ケオリスのカナダ法人、エンジニアリング企業シストラのカナダ法人、フランス国鉄(SNCF)の高速列車「TGVイヌイ」を運行するSNCF子会社のSNCFボヤジャーで構成する。

2011年、ドイツ・フランクフルト中央駅に停車中のフランス国鉄(SNCF)の高速列車TGV(大塚圭一郎撮影)
2011年、ドイツ・フランクフルト中央駅に停車中のフランス国鉄(SNCF)の高速列車TGV(大塚圭一郎撮影)

「経済を変革」と首相

 トルドー首相は2月19日の記者会見で、アルトについて「所要時間を劇的に短縮し、経済成長を加速させ、二酸化炭素(CO2)排出量を削減するなどわが国の経済を変革する」と意気込んだ。

 同席したアニータ・アナンド運輸相兼国内貿易相も「わが国の人口のほぼ半数がここ(アルトの沿線地域)に住んでいるものの、既存の交通システムは追いついていない」と問題視し、アルトが実現すれば「カナダ史上最大のインフラプロジェクトになる」と期待感を示した。

 アルトが建設予定のオンタリオ、ケベック両州の沿線地域には約1800万人が住み、カナダの国内総生産(GDP)の約4割を稼ぎ出す屋台骨だ。トルドー首相はアルトがカナダの「ゲームチェンジャー(変革者)になる」と訴え、GDPの押し上げ効果が最大で年間350億カナダドル(1カナダドル=105円で3兆6750億円)になるとの試算を紹介した。

左からアルトが計画している区間、VIA鉄道カナダの現在の所要時間、アルトの計画所要時間、時間差を示す表(アルトの公式ウェブサイトから)
左からアルトが計画している区間、VIA鉄道カナダの現在の所要時間、アルトの計画所要時間、時間差を示す表(アルトの公式ウェブサイトから)

 ただ、まだ具体的なルートや各駅の建設場所も決まっておらず、建設には環境影響評価(アセスメント)が必要になるなど課題が山積している。アルトの公式ウェブサイトも付け焼き刃でこさえた様子で、発表時に掲載していた画像に写っている車両は高速列車ではなくなぜかドイツ鉄道(DB)の通勤電車442型だったり、イメージ動画には全米鉄道旅客公社(アムトラック)の客車内の様子が映し出されていたりする。

アルトの公式ウェブサイトのイメージ動画には、全米鉄道旅客公社(アムトラック)の客車内で撮影された場面も
アルトの公式ウェブサイトのイメージ動画には、全米鉄道旅客公社(アムトラック)の客車内で撮影された場面も

主要区間は東京―大阪に相当、でも距離は…

 アルトの主要区間はカナダの2大都市のトロント―モントリオール間となり、日本で言えば東京と大阪に相当する。しかし、トロント―モントリオール間は約540キロあり、これは東京と神戸市の距離に相当する。

 東海道・山陽新幹線の東京―新神戸間を「のぞみ」で移動すると2時間40分前後だ。これに対し、国営の旅客鉄道運行会社VIA鉄道カナダはほぼ同じ距離のトロント―モントリオール間を走るのに5時間半前後と約2倍かかる。

VIA鉄道カナダの列車(カナダ西部サスカチワン州で大塚圭一郎撮影)
VIA鉄道カナダの列車(カナダ西部サスカチワン州で大塚圭一郎撮影)

 大きな要因は東海道新幹線の最高時速が285キロ、山陽新幹線の新大阪―新神戸間は275キロなのに対し、VIA鉄道の列車の最高時速は120キロにとどまるからだ。加えてVIA鉄道が使う線路は貨物鉄道が所有しているため「貨物列車を優先して走らせる権利を持ち、旅客列車は後回しにされている」(VIA鉄道の乗務員)のも打撃になる。

カナディアン・ナショナル(CN)の貨物列車(カナダ西部サスカチワン州で大塚圭一郎撮影)
カナディアン・ナショナル(CN)の貨物列車(カナダ西部サスカチワン州で大塚圭一郎撮影)

 しかし、アルトは東海道・山陽新幹線と同じく電化した専用軌道を走り、最高時速300キロでトロント―モントリオール間を3時間7分で結ぶ計画だ。旅客機で両都市の中心部を移動する場合、空港への移動や手荷物検査などの時間を含めると最短でも約3時間半を要する。アルトが開業すれば旅客機に対抗できる競争力を持つ上、CO2排出量を低減できるため脱炭素化にも貢献する。

保守党は「レームダック声明」と批判

 トルドー首相はアルトの建設に向けて6年間で計39億カナダドル(1カナダドル=105円で4095億円)を投じる計画を表明したが、カナダ国民からは「絵に描いた餅になるのではないか」「過去にも高速鉄道計画が浮上しては消えてきた」などと懐疑的な反応が多い。

 何よりも説得力を欠くのは、アルトの計画を宣言したトルドー氏が事実上レームダック(死に体)化しているからだ。2025年1月に与党自由党党首と首相を辞任すると表明したトルドー氏は、3月9日の自由党党首選の結果が出た後に退き、次期総選挙にも出馬せずに政界を引退すると公言している。

 このため、保守党のフィリップ・ローレンス下院議員は放送局CTVにアルトの発表について「レームダック政権によるレームダック声明だ」と揶揄し、「自由党は高速鉄道計画に9年をかけたが、残したのは高額なコンサルタントへの支出だけだった」と舌鋒鋭く批判した。

 実際、カナダ国民からも「トルドー氏が高速鉄道の建設を目指して善処したというポーズを示すためのアリバイ作りではないか」との冷めた見方が出ている。

「あの大統領」が期せずして推進役に?

 ところが、期せずしてアルトの推進役となる可能性を秘めているのがトランプ氏だ。カナダへの侮辱的な暴言を連発して「名前も聞きたくない」(知人のカナダ人)というほど嫌悪感を持たれているのに、なぜアルトの計画をけん引する影の主役になり得るのか。その根拠を三段論法で説いていきたい。

 トランプ氏が3月4日にカナダからの輸入品に25%の関税を発動すると表明したのに報復し、カナダのトルドー首相は1550億カナダドル(1カナダドル=105円で16兆2750億円)相当のアメリカ製品に25%の関税適用を表明。カナダからの自動車といった工業製品、原油や天然ガスなどの輸出が打撃を受け、カナダ経済に悪影響を及ぼすことは避けられない。

 カナダ統計局によると1月の失業率は6・7%と、日本の1月の完全失業率の2・4%に比べて高く、アメリカとの貿易戦争は雇用の悪化に拍車をかける恐れがある。そこで、カナダの次期首相は雇用創出するための大規模な経済対策を打ち出すとみられ、建設によって5万1千人を超える雇用創出が見込まれるアルトも柱の1つとして打ち出す可能性がある。

 自由党の党首選で最有力候補のマーク・カーニー氏は、カナダ銀行と英国イングランド銀行(BOE)という先進7カ国(G7)の2つの中央銀行で総裁を務めた「銀行界のスーパースター」(金融関係者)だ。アメリカのジョー・バイデン前大統領が新型コロナウイルス禍で悪化した労働市場を立て直すためにインフラ投資法に沿った大規模プロジェクトを進めて雇用が急増したように、経済の専門家であるカーニー氏も同様の政策を打ち出すことが予想される。

“反トランプ”旋風で攻守逆転

 そして、トランプ氏が「(カナダ首相になれば)とても良いことになる。私たちの意見は間違いなくより一致するだろう」と秋波を送ったことで足元を救われ、支持率が失墜しているピエール・ポワリエーブル氏が党首を務める野党保守党が2025年10月までに実施される連邦議会下院の総選挙で敗れればアルトの計画が軌道に乗る好機となり得る。

 ポワリエーブル氏はトルドー氏のことを「いかれた奴」と呼んで議場から退場させられたように“反トルドー”路線で攻勢を掛けて人気を集めていた。

 ところが、トルドー氏の退陣表明に加え、ポワリエーブル氏のことを「トランプ氏を崇拝している」(カーニー氏)などとレッテルを貼った自由党のキャンペーンが奏功。今やカナダ国民の間で吹き荒れる“反トランプ”旋風がポワリエーブル氏に飛び火し、トランプ氏から支援表明を受けたことがすっかり裏目に出て守勢に立たされている。

 調査会社イプソスが2月26日に発表した世論調査で、自由党の支持率が38%となり、保守党の36%を上回って逆転した。6週間前には保守党が自由党を26ポイントも上回っていただけに、保守党の人気急落のすさまじさを物語る。エコスが2月25日に発表した世論調査も自由党の支持率が38%と、保守党の37%を上回った。

 これらの私の見立てが当たった場合には、カーニー氏が率いることになると予想される次期政権が総選挙で勝利し、高速鉄道らしく一足飛びに建設へと邁進することは無理でもアルトの計画が着々と進むことになる。

 一方、好事魔多しとばかりに自由党が総選挙前に足元を救われる事態が到来しないとも限らない。そうなれば保守党が再び勢いづいて勝利し、ポワリエーブル氏が首相の座に就き、上記の見立てが瓦解することになる。ポワリエーブル氏は“天敵”トルドー氏が策定したアルトの計画について、見せしめだと言わんばかりに白紙撤回するシナリオが想定されるからだ。

 アルトは低い音域の女性の声域を指す。名は体を表すとは言うものの、カナダの2大都市間を結ぶのにふさわしい高速鉄道計画に声を落とす結末が待ち受けているとは信じたくない。

【筆者より】いつもご愛読いただきましてありがとうございます。本稿で示した視点や見解は筆者個人のものであり、所属する組織や日加トゥデイを代表するものではありません。

共同通信社元ワシントン支局次長で「VIAクラブ日本支部」会員の大塚圭一郎氏が贈る、カナダにまつわる鉄道の魅力を紹介するコラム「カナダ “乗り鉄” の旅」。第1回からすべてのコラムは以下よりご覧いただけます。
カナダ “乗り鉄” の旅

大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)
共同通信社経済部次長・「VIAクラブ日本支部」会員

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業し、社団法人(現一般社団法人)共同通信社に入社。2013~16年にニューヨーク支局特派員、20~24年にワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。24年9月から現職。国内外の運輸・旅行・観光分野や国際経済などの記事を多く執筆しており、VIA鉄道カナダの公式愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員として鉄道も積極的に利用しながらカナダ10州を全て訪れた。

 優れた鉄道旅行を選ぶ賞「鉄旅(てつたび)オブザイヤー」(http://www.tetsutabi-award.net/)の審査員を2013年度から務めている。共同通信と全国の新聞でつくるニュースサイト「47NEWS(よんななニュース)」や「Yahoo!ニュース」などに掲載されている連載『鉄道なにコレ!?』と鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」(https://www.47news.jp/column/railroad_club)を執筆し、「共同通信ポッドキャスト」(https://digital.kyodonews.jp/kyodopodcast/railway.html)に出演。
 本コラム「カナダ“乗り鉄”の旅」や、旅行サイト「Risvel(リスヴェル)」のコラム「“鉄分”サプリの旅」(https://www.risvel.com/column_list.php?cnid=22)も連載中。
 共著書に『わたしの居場所』(現代人文社)、『平成をあるく』(柘植書房新社)などがある。東京外大の同窓会、一般社団法人東京外語会(https://www.gaigokai.or.jp/)の広報委員で元理事。