日本語教師 矢野修三
二十四節気の啓蟄(けいちつ)もとっくに過ぎ、虫たちが土の中から出てくるごとく、我が輩も久しぶりにダウンタウンに飛び出した。以前、学校があったバラード通りなどを歩いてびっくり。コロナの影響もあり、かなりの店が変わり、景色が一変してしまった。ランチを食べようと、当時よく行った中華レストランに、でも残念ながら、すでに違う店に。その店の前に立つと、いろいろ懐かしい思いが・・・。特に、日本語に関するこんな思い出が頭に浮かんだ。
それは、はるか昔、この店が新装開店したころ、「食べ放題」(all you can eat) をしており、上級者と晩ごはんを。チャーハンや餃子などを食べながらこんな会話が始まった。「よく食べるね」「はい、たくさん食べられるようにランチを食べませんでした」。そして、すかさず彼からこんな質問が出た。「食べてきませんでした」と「食べないできました」とはどう違いますか、である。
うーん、これに関連して、日本での新米教師時代のほろ苦い授業風景を思い浮かべた。それは、上級クラスの教室、いつものように「宿題、やってきましたか」と、こんな会話で授業を始めた。「ハイ、やってきました」、「アー、忘れました」など、いつもの聞き慣れた返事が・・・。でも、ある女性生徒が「やらないできました」と答えた。「おや」と思いながらも、何となく不自然なので、それを言うなら「やってきませんでした」と言いなさい、と注意した。
しかし、彼女の言い分は「宿題はやらなかった。でも学校に来ました」。だから「やらないで、来ました」のほうがいいのでは、である。「やってきませんでした」は学校に来ていますから、おかしいのでは、と逆に質問を受けて、駆け出しの先生としてはすごく困ってしまった。
うーん。確かにそう言われると・・・、「やらないできました」のほうが、筋が通っている。でもかなり失礼な印象を受ける。当時はうまく説明できず、とりあえず、丁寧な表現ではないから、使わないように、と言うのが精一杯。でも、なぜ「やらないできました」が失礼と感じるのであろうか?
ここで、先ほどの食べ放題の中華レストランに戻る。この場合は「食べないできました」のほうがぴったりする。これは何か目的があって意識的にランチを食べなかった。すなわち、お腹をすかせて、食べ放題の店でたくさん食べようという意図が強く感じられるからである。確かに。
一方の「食べてきませんでした」は動詞「食べてくる」の単なる否定形であり、意図的な感じはない。それ故、「宿題をやらないできました」は意図的に、わざとやらなかったという印象を与えるわけであり、先生にしてみれば、失礼に感じるのは当たり前であろう。
うーん、なるほど。したがって、この宿題は役に立たず、全然勉強にならないから、意識的にやらなかった。そんな場合であれば、この表現はぴったりであり・・・、あ、そうか、彼女は、暗に「先生、もっと勉強になる、いい宿題を出してよ」と言いたかったのかも・・・。
こんな流れで、彼に違いを説明した。すると、笑いながら彼曰く、学生時代、宿題を忘れたとき、一度この「やらないで来ました」を使って、日本語の先生を困らせたかったです。今日は「ランチを食べないで来ました」から、もりもり、ぱくぱく。「食べ放題」を大いに満喫しました。流石。
それにしても、改めて日本語の奥深さ、きめ細かさ、でも、言い回しのややこしさに、恐れ入った次第である。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら。
矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca