27 ☆ 漢字「生」と「死」を見つめて !

日本語教師  矢野修三

 昨年の暮れから春の訪れを迎えるころに、日本でそしてバンクーバーで、とても親しい友人や先輩方が旅立ってしまった。大切な知友との別れが短期間に1度ならず、2度、3度も。ぽっかり心に大きな穴が空いてしまい、その寂しさを埋めるすべもなし。でも、いつか必ず来る別れであり、痛恨の極みだが、定めと受け入れねば。

 春到来とともに、新しい命が芽吹き始め、そこはかとなく「生」と「死」についていろいろ思いを巡らせる時間を持った。そして、漢字の「生」と「死」、特に「死」の読み方について思いがけないことに気づいてびっくり。今まで知らなかったとは、いと恥ずかしきことなり。

 まず、日本語教師として、漢字を教えるのは一苦労。多くの生徒はなかなか馴染めない。理由は文字が複雑で、しかも読み方が複数あること。

 でも、漢字には基本的に「音読み」(中国由来の読み方)と「訓読み」(日本独自の読み方)があるので、致し方なく、頑張って、と言わざるを得ない。 

 特に、「生」は読み方が漢字の中では、ずば抜けて多くあり、生徒は大変だが、先生も難儀。音読みでも「セイ」と「ショウ」があり、訓読みは「生(い)きる」「生(う)まれる」「生(は)える」さらに「生(なま)ビール」や「酒の生(き)一本」「芝生(ふ)」などと数多くあり、人の名前(羽生・麻生)や地名(桐生・相生)などを入れると、数えるのが大変なほどあるとのこと。

 一方、「死」は・・・。基本的に音読みと訓読みとは異なるのが当たり前だが、「死別」と「死に別れ」をじっと見つめていたら、音読みの「しべつ」と訓読みの「しにわかれ」。あれ、ひょっとして・・・、思わず辞書を手にして驚いた。音読みも訓読みも同じ「シ・し」であり、読み方はたったの一つである。「生」と比べると雲泥の差。うーん、今まで日本語教師として、音読みと訓読みが同じだなんて考えたこともなく、びっくり。そして赤面の至り。

 そこで、息抜きがてら、こんな思いを巡らした。漢字の神さまはなかなか粋である。生き方は人によってそれぞれ異なり、人生いろいろ、人間の数だけ生き方はある。従って、「生」という漢字には、たくさんの読み方を作ったのではなかろうか・・・。

 しかし「死」は、どこかの大統領やプロ野球の花形選手であろうが、一介のしがない教師であろうが、いかなる人間でもこの世を去るときは、分け隔てなく、全て同じように、やってくる。だから「死」の読み方はたった一つしか作らなかった。流石、漢字の神さま、すごい、かっこいい、cool。こんな悟りの境地に入ったような物思いにふけりながら、思わずニヤリとしてしまった。

 現実に戻り、確かに「生」は読み方が多々あり難しいが、漢字に興味のある超上級者には、こんな例文を作って、遊びながら教えている。

 「弥生3月、野生の芝生の上で、同じ年生まれの、ちょっと生意気な麻生君と一緒に、生ビールや生一本を飲みながら、余生を楽しんでいたら、生憎雨が・・・、こん畜生」。こんな文、生徒には何の役にも立たないが、かなり喜んでくれるので、先生として生き甲斐を感じる。

「ことばの交差点」
日本語を楽しく深掘りする矢野修三さんのコラム。日常の何気ない言葉遣いをカナダから考察。日本語を学ぶ外国人の視点に日本語教師として感心しながら日本語を共に学びます。第1回からのコラムはこちら

矢野修三(やの・しゅうぞう)
1994年 バンクーバーに家族で移住(50歳)
YANO Academy(日本語学校)開校
2020年 教室を閉じる(26年間)
現在はオンライン講座を開講中(日本からも可)
・日本語教師養成講座(卒業生2900名)
・外から見る日本語講座(目からうろこの日本語)    
メール:yano@yanoacademy.ca
ホームページ:https://yanoacademy.ca