2021年8月7日
桂川 雅夫
2.挫折した入試改革
2021 年7月に入り、日本の文部科学省は、国が行う大学入試のための共通テストで、英語の会話能力の評価や、その他学科の数学等で論文形式の回答を求める試験方法の導入を、有識者会議が提言でまとめた結論の「提言」をもとに、採点での公平性を確保すると云う観点や約50万人の受験生の採点を短期間で行う事のいずれも不可能であると云う理由で、それらの試験の実施は行わないと公式に発表した。
7月18日に、筑波大学の金子元久特命教授の、「挫折した入試改革」が、日経ニュースメールで報じられた。2012年に始まり今回の「提言」に至る経過を年代別に順次詳細に説明する内容であった。特に2016年以降、混乱を防ぐためと云う名目のもとに、会議は非公開となり「政治化と密室化」が図られ、政策形成のあり方の問題も露呈したと記されている。即ち、安倍内閣時代の官邸主導の政策形成の流れの中で、教育再生実行会議が積極的な役割を果たし、その過程で「基礎、発展レベル」の2段階論は骨抜きとされ、記述答案の採点や、英語の会話力テストで試験の民間委託が、具体化されていったと説明されている。更に、2019年には具体案にたいする批判が高まり、予定通りの実施が見送られたのであり、その後の焦点は事態の収拾であり、これまでの論議を超えるものではなく今回の同会議の最終「提言」になったという説明である。
一般社会人の常識の範囲で考えたとしても、公平な採点と時間的制限という観点からいえば、約50万人の受験生を対象としては、とても実施可能な課題ではないという結論は、簡単に導きだせたと思う。採点者が複数では、特に記述式の回答では、公平な採点を確保する方法はあり得ないのは自明の理だと思うし、論議の余地は全くないことだと思う。
2016年に官邸主導の非公開の会議が設営されて、民間に委託するしかないという結論となったという話が金子先生の説明の中にある。民間に委託したら公平性が得られるという理屈が不思議であり全く理解に苦しむ。本来あるべき姿は、そういう結論しか得られなかったのなら、その時点でこの問題は結末を付けるべき事柄だったと思う。
その後打診した民間業者たちの協力を得られず、2019年になり実施の延期、今年も7月になりやっと中止と云う文科省の公式発表があった。本件を引き継いだ菅内閣の立場の文科省は、中止を今回発表しただけで何等の謝意は示されなかったが、2016年以降今日までの何百万人もの受験生たちやその親たちと、多くの教育現場の関係者たちに与えた無用な混乱とか心労や苦痛などに対して、本件の審議課程で混乱を避けるとかの名目で会議を非公開化し「政治化と密室化」を行ったと金子先生が指摘するような行為で、結論を先送りして事態を長引かせた当時の官邸と文科省の責任者たちは、公式に詫びるべきだと思う。
3.纏め(まとめ)
上記1項と、2項で述べた如く、安倍政権は歴代最長の政権であったが、結果としてやるべきことは行わず、実行の手段がないと明らかなことに無為の時間を費やした。後続の菅内閣が官邸主導などとは云わず、コロナ問題やオリンピック開催と山積する課題のなかで、発足後9カ月以内なのに、早速日本の科学技術の衰退を食い止める課題を優先課題として取り上げ、動き出したという事は立派であり、安堵する次第である。
政治評論家という様な立場の方たちは、その様な実態を伝えると同時に、単に日本政治を批判をすることを目的とするのでなく、日本の政治のレベルアップのために、特に未来の日本を担う若者の教育問題では、政治が果たすべき最も大事な役割として、政治家や官僚自身が若者の鏡となる様に謝るべきことは謝るなど、そういう行為を示す事が、教育問題を預かる文科省の教育の一環でもあり、本来は外部からの指摘が無くともその任にある文科省は、自ら率先して謝るべきことだと思う。官僚や政治家たちが謝るべきは謝るなど、正しい行動を常に示すように、事柄の事態の推移を見守って、誤りがあれば正し、足りぬを補うべく、忌憚なくそれらを指摘する役割を果たして欲しいと思う。
(完)
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