~グランマのひとりごと~
その日、ご招待を受けた友人宅。玄関に入った。
目の前にたった一人が住むにはかなり贅沢な広さと、眺めの良い、気持ちよい空間、古典的な落ち着いた家具。台所は広間と食堂とも全部繋がっている。食堂に続いて、お茶を点てるコーナーが出来ていた。中央に掛けられた立派な書掛け軸に『無尽蔵』と言う文字が書かれていた。暫くグランマはその掛け軸の前にたたずみ、離れられないでいた。掛け塾の横に飾り棚があり、そこに骨董品の花器等が置かれていた。
半世紀以上前に住んでいた、香港の夫の実家を私は思い出したのだ。舅は建築が仕事だったが趣味は骨董品蒐集。数々の本を出版したりしていた。そして、彼は毎日夕食後、手持ちの骨董品をガラスのケース、飾り棚から出しては、一つ、一つ、丁寧に磨いていた。とても大切で愛しいものを、それは丁寧に心を込めて磨いている。私はそんな舅を見ているのが好きだった。そして、就寝前と起床時には必ずタイチィ(太極拳)をやる。彼は特に古玉の専門家で香港美術館にも寄付し、彼の名前で展示されている古玉は幾つもあった。 そして、中国黒檀の家具と骨董品の飾り棚に囲まれた、その家の落ち着き。無駄が一切ない。それが今初めて訪ねた友人宅、その雰囲気がとても似ているのだ。その友人は、もう私の年齢に近い。その彼女はそこにたった一人で、多分生涯大切にして来た品々、私の舅が愛しげに磨いていた骨董品と同じように、沢山の思い出を隅々に飾り、幸せそうに何時も優しい笑顔で生活している。
彼女がお茶を点てて下さる時、『無尽蔵』の話がでた。飾ってある掛け軸は、彼女のお祖父様が書かれたのだった。その言葉の持つ深い意味と文字自体の重み、しっかりと見る人に『無尽蔵』を感じさせる掛け軸なのだ。「素晴らしいなぁ」とグランマは思わずつぶやく。
お茶の頂き方も知らない不調法なグランマに、彼女は明るく、優しく、丁寧に色々教えてくれた。手作りの綺麗な和菓子、食べてしまうのが惜しい。きれいな花形お菓子。彼女の手製なのだ。
美味しくお茶を一服頂いた後は雑談、そして、軽食に入った。
テーブルに載せられた「お寿司?」なのかしら?でもお酢が入っていない。「いや、お寿司だな?」味付けご飯の上に鰻とこんにゃくが、それぞれ形よく載せられていた。やはり「押し寿司」なのだ。其れは丁寧に作られている。これも又、あまり綺麗で食べてしまうのが惜しい。でも食べ始めたら美味しいのでパクパク食べた。おつゆが出て来た。直径、5-6センチの小さなお椀なのだが、小鳥の絵が描かれた繊細な入れ物だ。蓋を取るとお椀の中央おつゆの真中にウズラの卵がチョコリ乗っていて、可愛らしい。「うーん、美味しい」、そして、デザート。これは超小型プディングだった。これまた美味しい。ニンジンのお漬物も…..。全て彼女の手製である。ぜーんぶ食べ終わった時の幸せ感。
そして、グランマ、過去に何回も友人を家に招待したことがある。でも、何時もポットラックだ。情けない。そう言えば、料理好きだった夫、彼の料理中、私が手伝おうとすると「触るな!」と言って触らせない。今は亡き夫だが美味しいものをよく食べさせてくれた。まったく、自転車も乗れない、料理も出来ない、歌も歌えない。ああ、できない事だらけ、でも、よーく笑顔で生きてこれたなぁ。
「自分の力より もっと大きな力達、応援、支援してくれる、神と仏とよき友と」小林正観
許 澄子