エドサトウ
「人生とは川の流れにて流れてゆくようなもの」という出口治明氏の言葉は『方丈記』の「ゆく河(かわ)のながれはたえずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつきえ、かつむすびて、ひさしくとどまるためしなし」という一節とよく似ている。ということは、千八百年ぐらい前に書かれた『方丈記』の作者鴨長明も歴史の中で、河の流れのように運命に逆らうことなく生きていたのであろうかと思われる。
「朝(あした)に死に、夕(ゆうべ)に生(うま)るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかより来たりて、いづかたへか去る」
「又、知らず、かりのやどり、たがためにか心を悩まし、なにによりてか目をよろこばしむる。そのあるじと、すみかと無常を争ふさま、いはば朝顔の露にことならず。あるいは露おちて、花残れり。残るといへども、朝日にかれぬ。あるいは花はしぼみて露なほ消えず。消えずともいへども夕(ゆうべ)を待つことなし」
人の住むところも、花の咲く喜びも朝露のごとく消えることは自然のことわりという意味であろうか? これは、法華経の中の方便(たとえ)にあるという。
人の生きることは、自然のことわりの中で生きることが大切なのであろうが、このコンピュータによるコミュニケーションが普通の時代であるモダンな社会で生きることの意味は何であろうか? 中東やアフガニスタンとかミャンマーなど、戦争の恐怖の中で生きている人々がいるなかで、小生は戦争にかかわることもなく、無事にかつ、平凡に人生の晩年を迎えられたことは、きわめて運のいい人生かもしれない。その上、小生の住むカナダ西海岸は大きな地震や台風などの災害も少なく、極めて穏やかな人生であったかと思える。
その日、大手電気会社の守衛をしていた父は、夜勤であった。父は母に「大きな台風が来るから近所の大きな家に避難するように」と言い残して、会社へ行った。兼業農家で小さな我が家は、三匹の子豚の話に出てくる藁ぶきの小屋のような家であったために、大風が吹けば吹き飛ぶような感じであったが、近所のお宅は親類から貰い受けて再建築した昔の旧家のような大きな家であったから、父も避難するにはここが一番安全と思っていたのであろう。
夜も10時ころになると、台風は刻刻と近づきあるのか、風が強くなり、そのうちに停電となり、ラジオも聞けなくなった。風はますます強くなり、避難先のお宅の表の雨戸が風に飛ばされた。さらにガラス戸も破られて、強い大風が家の中に入ってきた。そこのお兄さん達が「ここは危ないから、裏の物置小屋へ避難した方がいい」と興奮気味に大きな声で言う。それで、皆で裏の小屋へ移動してゆくと風に飛ばされた瓦が落ちてきて、ぼくの手にあたったが大した怪我ではなかった。風も一段と強くなり、物置小屋もぐらっと揺れて、傾いてきた。
そんなころ、名古屋市南のおじさんの家では、高潮と堤防の決壊で水が家の中まで入り込み、次第に水位が上がってくる。おじさんたち家族は子供たちの二段ベッドに上がり、そこから天井と屋根を破り、屋根の上へ避難した。腰の悪い祖母を押し上げて、家族五人は暗い屋根の上で救助を待ったという。黒い潮水は屋根の軒先で止まり、おじさんたちは事なきを得たが、この高潮で多くの人(四千五百人以上)が亡くなり、この台風で両親を亡くした台風孤児が多かった印象が残っている。
僕達が避難した小屋は、朝になって外から見れば、ペシャンとなって倒れていた。母の弟になる地元消防団員のおじさんが台風の通過後の深夜に見回りに来て、全壊している我が家の中に向かい母の名前を何度も呼んだ。大声で呼んだけれども返事がないので、「たぶん避難している」と思ったと、後で話をしていた。
避難先の大きなお宅は、雨戸が壊れて、風が吹き抜けたが倒れることはなかったが、むしろ、僕たちが避難した小屋のほうが風で倒れた。僕たちは石灰や肥料の入った袋が積み上げられた横にいたためか屋根に押しつぶされる危機は免れた。
それから数日して、廃材を使い四畳半一間の山荘のような雨風のしのぐ仮の小屋ができて生活が少し落ち着くと、父と僕は、名古屋のおじさんのところへ行った。堀川の向こう側は膝まで、まだ黒い水が残っていて、とても、おじさんの家まで行けそうにもないので、近くの家の人に声をかけて尋ねてみると、おじさんたちのことを知っている人がいて、「佐藤さんたちは無事に避難していますよ。」と言われて、父と僕は安堵して家へ引き返したのである。
大阪に本社のある父の会社の工場長が、台風の夜に会社の寮に住む若い人たちと、工場の保全に努力した父の倒壊した我が家を見に来られて、「佐藤さん大丈夫! 僕がすぐ必要な材木を手配するから」と言われ、大阪方面から建築資材を送っていただき、我が家は一早くに蘇生したのである。父も僕も運が良かった。この時、弟は母に抱かれていた赤ん坊であった。
この頃から、我が家もしだいに経済的に安定してきたのある。父に勧められて読んだ戦後の貧し生活をつづった『つづり方兄弟』の本は雨で濡れてしまったが、また乾かしてそった表紙のまま本箱にしまった。この本にあるように、まだ日本の地方は貧しかった。