170 「おばあちゃん」は病気

~認知症と二人三脚 ~

ガーリック康子

 小学生の頃、夏休みになると、母と一緒に新幹線に乗って、一人暮らしをしていた母方の祖母の家に遊びに行きました。乗車前に買った駅弁と四角い容器に入った静岡茶。おやつは、必ず冷凍みかん。在来線やバスを乗り継ぎ、やっと着いた祖母の家。着いた途端、母の言葉が方言に戻ります。毎朝、仏壇の前でお経を読む祖母の真似をして私も正座をし、数珠を手に一緒にお経を読みます。祖母の家の庭には小さな畑があり、マクワウリがたくさん実っています。草むしりや水やりを手伝うのが、滞在中の日課です。宿題の絵日記に書くことが山ほどある、楽しい夏休みでした。

 そして、いつの頃からか、夏休みに祖母の家に行くことはなくなっていました。初めはその理由をよく知りませんでしたが、祖母はしばらく入院していたのです。かすかな記憶を辿ると、確か、最初の入院の理由は「骨折」でした。最終的に自宅に戻ることはできず、介護施設に入ることになりました。祖母が介護施設に入ることになった理由は、「認知症」ではありませんでした。しかし、今思えば、寝たきりの状態で、おそらく母以外には訪ねてくる人もいない刺激のない毎日が続くことで、施設にいる間に「認知症」を発症していたとしても、不思議はありません。

 どの時点で、母がひとりで、祖母の様子を見に行くようになったのかは、よく覚えていません。でも、私が大学生の頃には、母と一緒に、介護施設にいる祖母をお見舞いに行っていました。その頃はすでに寝たきりで、会話もほとんどできなくなっていました。初めて施設を訪ねた時の祖母の変わりようは、大きなショックでした。あんなに元気だった、大好きな祖母がやせ細り、おむつをして、自分で手足を自由に動かすことさえ難しくなっているのです。私は、祖母に悲しい顔は見せまいと、努めて明るく振舞っていましたが、祖母がいる部屋を出たとたん、どうにも堪えきれなくなり、涙が溢れてきました。会えるのはこれで最後かもしれないと思うと、余計、涙が止まりません。結局、祖母の最期は、同じ施設からの電話で知ることになります。私には何もできなかったことが、無念でなりませんでした。

 やがて時は流れ、母親になった私に連れられて、子どもたちが「おばあちゃん」に会いに行きます。小学校に入ってからは、夏休みを日本で過ごし、実家の近所の小学校に体験入学もしました。友達もでき、日本語も格段に上達しました。田んぼでアマガエルを捕まえ、地元のお祭りの縁日に行き、花火大会で初めて本物の花火を見物しました。料理の上手な「おばあちゃん」のお手伝いをし、一緒に近所のスーパーに行っておやつを買ってもらいました。

 そんなある年、私はひとりで日本に一時帰国します。いろいろな事情により、およそ2年振りの母との再会です。この時の訪問で、しばらく前から気になっていた母の様子や言動の変化に尋常でないものを感じたことが、その後の「認知症」の診断につながることになります。それ以来、「おばあちゃん」が病気だからという理由で、私ひとりで母に会いに行くことになります。一時帰国の理由が、「認知症」の母の介護の手伝いだったこと、その滞在が時には2ヶ月近くなること、介護の手伝いをしながら、私ひとりで子どもたちの面倒をみることは難しいことなどから、敢えて子どもたちを連れて行きませんでした。自分のことは自分でできる年齢ではありましたが、まだ未成年でしたから、私が日本にいる間、夫がひとりで子どもたちの面倒をみていました。結局そのまま、子どもたちが「おばあちゃん」に再び会うことはありませんでした。

 子どもたちには、「おばあちゃん」の病気が「認知症」であることも、治ることはないことも話していました。それでも、「おばあちゃん」に会いたがっていました。子どもたちが、病気の「おばあちゃん」に会わなかったことが良かったことなのかどうか、今もわかりません。もしかすると、病気でも会わせることで、人間の「老い」の現実を見せるべきだったのかもしれません。でもそれは、 変わり果てた祖母の姿を見て私が感じた、悲しさ、寂しさ、何もできない自分の不甲斐なさといったいろいろな気持ちを、子どもたちが感じることを意味します。それはどうにも偲びないという、母親としての感情が働いたのも事実です。

 もしかすると、一番、無念だったのは、母なのかもしれません。

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*当コラムの内容は、筆者の体験および調査に基づくものです。専門的なアドバイス、診断、治療に代わるもの、または、そのように扱われるべきものではないことをご了承ください。

ガーリック康子 プロフィール

 本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定。