バンクーバー朝日軍と和歌山県立桐蔭高等学校(以降、「桐蔭」)野球部の友好100周年記念の祝賀式典が3月26日午後6時(太平洋標準時。日本時間では3月27日午前10時)から、オンラインで開催され、約90人が参加した。朝日ベースボール・アソシエーションと日本カナダ商工会議所の共催。
バンクーバー朝日軍は1914年に発足した野球チーム。当時のバンクーバーの日系人だけでなく、日系以外の野球ファンも魅了した。
1921年秋には日本に遠征。その際に全国中等学校野球大会(現在の「夏の甲子園」、全国高等学校野球選手権大会)を制した旧制和歌山県立和歌山中学校(現「桐蔭」)とも対戦した。
バンクーバー朝日軍の野球を受け継ごうと、朝日ベースボール・アソシエーションが結成した「Asahi」は、日本遠征も2015年から1年おきに行っていた。特にバンクーバー朝日軍が遠征した100年後にあたる2021年には、Asahiと桐蔭の交流が予定されていた。
新型コロナウイルス感染拡大で延期となっているため、オンラインでAsahiと桐蔭をつないで友好イベントが開催された。
式典の冒頭で司会のサミー高橋さんが、「100年の時空を超えて、バンクーバー新朝日軍と桐蔭高校野球部をつなげた今回のオンライン・イベントは意義深い。このイベントを通じて過去から学び、次世代に伝説の野球チーム、バンクーバー朝日軍の栄誉を語り継いでいきたい」とあいさつした。高橋さんは朝日ベースボール・アソシエーション理事で、日本カナダ商工会議所会長も務めている。
羽鳥隆在バンクーバー日本国総領事は「過去1世紀にわたり、野球への愛情を通じてバンクーバー朝日軍と桐蔭高校、そしてカナダと日本がつながってきたことに感慨を感じる」と語った。
桐蔭に集まった日本側参加者
桐蔭高校硬式野球部部員をはじめ、日本側の参加者の多くは桐蔭高校に集まった。笹井晋吾校長はバンクーバーの参加者らに対して、同校が1897年和歌山中学として創立したこと、文武両道を目指す伝統ある学校であることを紹介した。そして「野球部やOB会のメンバーとともにオンラインでバンクーバーの皆さんと会うことができるのは、100年前の朝日と桐蔭のご縁がきっかけです」と述べた。
桐蔭の野球部OBで、「スポーツニッポン」で野球記者をして37年という内田雅也さんは、1921年当時の和歌山中学の活躍ぶり、バンクーバー朝日軍とのつながりをスライドを用いて紹介した。1921年9月に開催された両チームの試合は、5対3で和歌山中学が勝利したという。和歌山中学は1927年には北米に遠征した。
また、和歌山には外を見て大志を抱いている県民が多いと話し、その一例としてアメリカメジャーリーグでも活躍した、元プロ野球選手の吉井理人さんを挙げた。
マンガ 「バンクーバー朝日軍 A Legend of Samurai Baseball」の原作にもなった「バンクーバー朝日」の著者のテッド・Y・フルモトさんは、本が生まれた経緯を説明した。
フルモトさんは、朝日軍のピッチャーだった父親から、同チームがアジア人差別で多難な時代に、頭脳野球で勝ち、民族の壁を越えて地元の人たちに愛されていたことを聞いていたという。どう伝えるか考えあぐねていたところ、朝日軍でキャッチャーだったケン沓掛(くつかけ)さんに、チームを後世に伝えてくれと励まされた。そうして書き上げたのが、「バンクーバー朝日軍」だった。
元朝日軍選手のケイ上西さんもビデオメッセージ
「バンクーバー朝日物語」の著者の後藤紀夫さん、「カナダ移民の父」と呼ばれた和歌山県出身の工野儀兵衛氏のひ孫で国際協力推進協議会の会長を務める高井利夫さん、朝日軍選手だった嶋正一さんの甥の嶋洋文さん、元朝日軍選手で1月17日に100歳の誕生日を迎えたケイ上西さんは、ビデオでメッセージを届けた。
バンクーバー朝日軍は、2003年にカナダ野球殿堂入りを、続いて2005年にBCスポーツ殿堂入りを果たした。バンクーバー朝日研究者の嶋洋文さんは殿堂メダルを受け取っていない朝日軍の家族を探し出して渡す活動をしている。これまでに20のメダルを届け、残りは5つとなっているという。
イベントに参加した人たちからは、「歴史の一幕に残るイベントに参加できて感動した」「過去を知り、未来に繋ぐ重要なイベントであった」「時空を超え、海を越え、一体感を野球を通して感じた」などの感想が寄せられた。
(取材 西川桂子)
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