~グランマのひとりごと~
自分が書いた古い原稿を取り出し、ふっと読み返した。そして、「ああ、今も同じ体験ができている」。自分の幸せをしみじみと感じ、一部再掲載をしてみたくなった。
それは、2018年3月 {老婆のひとりごと}「役立たずでも…」に始まる。
一昨日、日本から帰国、短い滞在と時差で身体が参った。「ああ、年齢だなぁ」
それでも、今日は日系女性企業家の会の例会で参加登録済み。6時迄に行く用意をしていると電話が鳴った。声の主は聞きなれた会員の一人だ。
「来るの?」と聞かれ、「行くわよ」と答えた。その人は、「ラッシュアワーだから気を付けて運転してきてね。待ってるねぇ」と優しく言って電話が切れた。 その後、またすぐ電話が鳴った。
同じ人からだ。彼女は「ホイさん、今、家でしょう? ラッシュアワーで大変だから、皆が休んだらと言っているけど…?」
老婆は今体力的に辛いけれど、参加すれば「力」がもらえる仲間に会える「例会」にはぜひ出たかった。一瞬、どうしようかなぁと思った。更に電話の人は「今からそこを出ると到着は7時半くらいになるよ」「えぇ、私の時計は今5時15分!」そうだ!今日から夏時間になるのだった。まるで忘れていた。
実際に会員として役に立たないダフ(難聴者)、敢えて言えば隣席の人に通訳と助けをかりて話を聞きく老婆なのだ。そんな迷惑会員なのに、この会で退会命示はない。そして、今日、又なんと優さしい電話の心使い。
最後に彼女は「ごめんね」とつぶやいて電話を切った。つまり、電話を切ったその時、例会開始時間はすでに大幅に過ぎ、老婆の到着を待てば、更に1時間半遅くなる。待つこと自体で例会参加者全員に迷惑がかかる。謝罪の気持ちと感謝で「キャンセル大丈夫よ。有り難う」と老婆も電話を終えた。
さっき電話をくれたその人も今は元気だけれど以前乳癌を患っていたし、その彼女は今、毎日8000歩をゴルフ場で歩いているという。また、ある卒中を患い、大腿骨骨折し、歩くのが困難なメンバーの一人が出席すると周りに又「愛の輪」ができる。皆が手を貸す。それぞれ互いをいたわりながらその「輪」を広げ、繋げていく。
その笑顔と優しく明るい言葉が胸にジーンとくる。美しい、嬉しい光景だ。
ここまで2018年掲載原稿を読み、その笑顔と優しく明るい言葉が胸にジーンとくる。美しい、嬉しい光景だ。
今2022年、4年前と全く変わらない。
女性企業家の会、「ビジネス」。それは厳しい、けれど誠意をもってやる経営は地味でも必ず伸びていく。
多分、このメンバーの生き方は、そのままビジネスに生かされているのだろう。
ある高校の運動部で先輩達が一人の体の弱い後輩へ聞こえよがしに「体の弱いやつはいるだけで迷惑だ」と言っていた。老婆は思った「ダフ/難聴老婆はいるだけで迷惑なんだよなぁ」「そうなのだ!」
しかし、今、老婆が多事経験するこのコミュニティーの快さ。「人は価値があるから生きるのではなく、生きているから価値がある」と言い返してくれているようだ。
「生きる価値」問題とは関係ないけれど、孫のリオがバンクーバーの私立男子校を奨学生として卒業し、日本の大学に入学できた。そのリオの母親が私に言った。「ママ、あの子ねぇ、大学に入ってくれて本当にほっとしているのよ」「彼さぁ、中学に入る時、不登校児になるところだったのよ」「学校へ行かない」と言うからねぇ。
「学校へ行かないで、大人になったら何になるの?」と聞いたら「なんと言ったと思う?」
彼さぁ、「ホームレスになる」って言ったのよ。老婆は一瞬驚いて「それでどうしたの?」と質問。娘は彼に「それじゃホームレスの経験をしてみたらぁ?」と言って1瓶の水と2切れのパンと大きな段ボール、それに毛布1枚あげて、ベランダに出し一晩そこに寝かせたそうだ。
朝になってリオに「どうだった?眠れた?」と聞くと「うーん眠れた」と言ったけれど、翌日はもう自分のベッドに行き、段ボールに戻らなかった。
そんな親に育てられている孫が、なんだかとても楽しみだ。結局,幾つかの大学から奨学金をオファーされたがどうしても行きたかった慶応義塾大学の経済学部に入学したみたい。まあ、それはそれでいいけれど、ホームレスの体験を、自分の家でさせる親もいるのですよねぇ。
あの時の体験から、何を11歳の彼が得たかグランマは知りたい。
「人は価値があるから生きるのではなく、生きているから価値がある」と言い返してくれるといいなぁ。
許 澄子