過去を振り返る。感謝でず~っと生きてきた。そして、その全ては「因」であり、「心」なのだよね。そして、それが「恩」となるんだなぁ、なんて一人思ってみる。生きるって、そういう事?時々、愚痴ってみるけど「不満は見つかるもの、感謝は見つけるもの」みたい。
ある時、作家の桐島洋子さんのバンクーバーの家で彼女の夫、勝見洋一氏に出会った。会った途端、彼が「澄子さん、サイババって知ってる?」と尋ねた。私は全くそれが何かわからず「なぁにそれ?」と聞き返した。彼は「そうかぁ、知らないんだぁ」「彼はね、インドの聖人で、現代に現れたキリストか仏陀と言われているけど、又はギミックかもしれないと噂もされているんだ」。それで、彼と私の会話は終わった。
それから、数ケ月が過ぎて、1枚の絵ハガキが届いた。洋子先生からだ。
なんとあの時、勝見氏が私に聞いた「サイババ」の写真、その絵ハガキだった。
今、彼女はその人に会いに南インドのプッタパルティと言う所へ行き、そこのアッシュラム(お寺のような場所)に寝泊まりし、毎日、2回、サイババのダルシャン(神の謁見・祝福)を受けているというのだ。
小さな文字でそれは丁寧にぎっしり書かれた絵ハガキ。彼女はそのアッシュラムで、朝まだ暗いうちに起き、ダルシャン(神との謁見)に行き、バジャン(讃美歌)を歌い、そして、聞く。アッシュラム(お寺)での平和な日々に、身も心も癒されている様だった。その1枚の絵ハガキを、私は胸に抱いているうちに、自分もインドのそのアッシュラム(お寺)に行きたくなった。
早速、旅行会社に勤める友人に話すと航空券はバンクーバー/東京/シンガポール/マダラス(現在のチェンナイ)までは発券できるが、そこから先はインドで国内線を探した方がいいと言う。ITの未だ活躍していない時代だ。「アッシュラム」は南インドのプッタパルティと言う村にある。兎に角、行き方も分からない。洋子先生と連絡も取れない。
結局、東京に「サイセンター」サイババの教会のような所があると聞き、そこを尋ねることにした。サイセンターは電話帳で探すと目黒にあった。そこを訪ね、サイババの事、アッシュラム(お寺)での生活、行き方等色々優しく、丁寧に教えてもらい、帰りに1冊の本までくれた。そして、池袋の実家へ帰った途端、電話が鳴った。かけてきたのは洋子先生の親友加代さんだった。彼女は誰かから私がインドへ行くと聞いて、彼女の友人75歳のお婆ぁちゃんを一緒に連れて行ってくれと言う。丁度、私は左手を腱鞘炎で痛め、自分の荷物を持つのも苦労していたから、お年寄りの荷物の世話など不可能だと断った。しかし、そのお婆ぁちゃんは自分で全部マネージできると言い、どうしても同行したいと言う。そして、結局、2人で行くことになった。
セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
許 澄子
2016年からバンクーバー新報紙でコラム「老婆のひとりごと」を執筆。2020年7月から2022年12月まで、当サイトで「グランマのひとりごと」として、コラムを継続。2023年1月より「『セレンディピティ』幸運をつかむ」を執筆中。
「グランマのひとりごと」はこちらからすべてご覧いただけます。https://www.japancanadatoday.ca/category/column/senior-lady/